フィフティーン
榊 慧




一番好きな人とは、結婚できない。


というのをいつだったか、聞いたことがある。
俺の父と母はなんか、互いの義務感と利害が一致して、そんでもって父の方がすこしだまされて結婚したんじゃないかと俺はもくろんでいる。こんなことは内緒だけど。
俺の知り合い、クラスメイトも、今は全く知らない人と結婚するのだ。こんなことを考えるのは思春期(…これが青春だったらかなしい。)だからということにしてください。





俺は性の違いというのが、もう怖くて怖くてしかたがない。なぜまわりがそんなに平然としているのかがわからない。俺もまわりから見たらふつうに平然としているんだろうとは思うけども、それでもやはり怖いのだ。


毎日毎日考える。何故俺は男でなかった、何故俺の体は柔らかいんだ。この気持ちを上手く説明が出来ない。以前、一回だけ学校の保険の先生に言ってみたことがある。けれど俺はちゃんと伝えられなかった。わからないだろうけども、本当に、訳もわからず苦しい。俺は、男なのか、それとも、そうでないのか。俺が俺自身に対する美意識、というのか、美の理想というのは、平たい胸で、まっすぐな胴のライン。これは、「異性」に対する欲求なのか、そうでないのか。「異性」がすきなのか、「同性」がすきなのか。はたまた、どちらもなのか。(俺はどちらもだと思っている。)


こういうことをえんえんと考える。泣きそうになる。一時的なものなんだろか、思春期特有の、とか。だったらもうはやく思春期とかそういうの終われば良いのに。いつまでも莫迦なまんまぐるぐるぐるぐる、恥ずかしい、やめてくれ。

好きだとか惚れたとか、考えるだけでもう嫌だ。なのになんでもうこんなに俺が悩まなければいけないんだ!すべて思春期が悪い!はよ終われや思春期!(関西弁。)

思春期。思春期って、だれでもみんなこんなもんなのか、こんな感じなんだろうか。

俺は、色々悩んでても頭が足りなくても無鉄砲でも許される年齢で、それも「思春期だから」なのか、それとも別のところなのか。
別のところであって欲しい。だって、恥ずかしすぎるそんなのは。



そして俺が思春期とは違う理由で「こんなん」だとしたら、じゃあ俺は何なんだ。
「何故俺は男でなかった」に戻る。




ああもうわからない。ただ泣きそうになるだけだ。

俺はもう15なんだ。成人するまでに時間がそんなにない。15から時のたつのは早くなる気が前からしていた。何でかはまったく分からないけども。とにかく時間が無い、時間の使い方がとても下手な俺は、人より時間が少ないだろう。



15の俺は、結婚の定義がなんたるかさえ知っていないどころか、自分の形も分からない。
つまり、所詮餓鬼なのだ。

15の俺は、まだ餓鬼なのだ。 餓鬼は、悩む。







散文(批評随筆小説等) フィフティーン Copyright 榊 慧 2009-01-12 22:02:26
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