混濁のひと
恋月 ぴの

(一)

「ここも戦場になるのね」

キキはちょっと悲しそうに呟いて
刈り込まれた芝生の向う側に
迷彩服の男たちを認める
忙しく移動式対空レーダーを組み立てていた
目的のためなら一番大切なものさえ捨てられる男たち


(二)

新しいコートが欲しいと言うキキに付き合った後
大木戸門をくぐり新宿御苑をそぞろ歩く
キキは黒のハイネックに皮のベスト
そして格子柄のショートパンツにブーツを合わせていた
おいらと言えばまーちゃんの編んでくれた
ラスタカラーのマフラーを首に巻き
砂利道に足を取られそうになるキキの足元を気遣う

「ひよこさんって優しいのね」

フランス式整形庭園のプラタナス並木
平日の昼下がりは閑散としていて
僅か先で展開する物々しささえも幻影のように感じてしまう

たとえばダリだったらどう描くのだろう
整然としたプラタナス並木から望む
英国風景式庭園の芝生に展開する迷彩服の男たちは
これからグランドホッケーでも興じるかのように
カーキ色の軍用車両の脇に整列していた

サルバドール・ダリなら描く
蛞蝓のように弛緩した懐中時計の断末魔と
無機質なまでに蒼い空の下で愛を確かめ合う毛蟹たちの姿


(三)

「ぴーちゃんはまーちゃんと寝たの?
わたしは寝たわ」

一瞬勝ち誇ったことばかと思ってみたものの
キキの横顔は深く憂いに満ちていた

まーちゃんとおいら
根岸の家を飛び出しこの街に流れ着いたとき
まーちゃんは自室においらを泊めてくれて
ひとつしかないベッドでふたり抱き合って寝た
哀しみに震えるおいらの唇に優しく口付けしてくれた

たとえそれが友情を超えた愛の姿だとしても
寝たとか寝ないとかで断ずることは許されるのだろうか

「そろそろ見頃になりそうだよね」

問いかけの真意を測りかねたまま押し黙っていると
キキはベンチから腰を上げ大きく背伸びを繰返す

「奥さんとお子さんが田舎へ帰ってしまって
まーちゃん寂しそうだったから誘惑しただけよ
ほんの気まぐれだったのかな」

わざと自嘲気味に話しているようにも思え
キキ
高慢そうな身なりとは裏腹に
ひとのこころの痛みを知り尽くした女
キキ

中の池を渡る秋の風が色づき始めた紅葉にそよいだ


(四)

キキを新宿門まで送ったあと
いつものようにナジャの開店準備にとりかかり
磨き上げたグラスを食器棚に並べていると
かたこと音がするのに気付く
あのどんぐりの実が黒いカウンターの上で震えていた
これからはじまる饗宴の気配に打ち震えていた


(五)

マグリットの描く奇妙な夜景のなかで
迷彩服の毛蟹たちがざわざわ蠢き
北西の空に向って対空レーダーを操作していた

やがて巨大な蛹の背中が割れ
ゆっくりと迎撃ミサイルがその姿を現し

迷彩服を脱ぎ捨てた毛蟹たちは
互いの甲殻を執拗に舐り
生殖と隔絶された愛の営みに白い歓喜の泡を吹く






自由詩 混濁のひと Copyright 恋月 ぴの 2008-10-03 20:09:38
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