通俗ホラー詩 「鉄輪」
右肩良久

 邪悪に眼を細めてまず腕を切り落とすんだよ。いいかい、そいつが悲鳴を上げたらお前はうんと気持ちよくなるからね。嬉しくてにやっと笑うのさ。唇だけになった顔で。血にまみれたナイフの刃先をべろんべろんと舌で舐めるのは映画的でちょっと俗だからさ、どうせならそのままそいつの眼を抉っちゃおうか。瞼を切り落としてから眼球をくじるとうまく丸いのが出てくるけど、そんなことこだわるなよ。ちゃっちゃっとやっちまったほうが快感が脳まで登ってくるのが早いからな。それが終わったらだな、血がべとべとするのを喜びながら、頭の皮を剥がせよ。「でっかいメロン」の歌を即興で作りながらかつ歌え。かつ歌う、って笑えるぞ。次にはどうしようか、肺から空気を抜くことにしよう。肋骨と肋骨の間に、横向きに寝かせた刃をすっと入れるぞ。吹き出した鮮血と人智の根源たる空気の奔出をだな、お前はお前の顔に浴びる。それからどうだ、そいつのポケットから携帯を抜き出して、メールとか、声に出して読んでやれよ。「今日、あんなこと言われてちょっとうるっときちゃったよ」とか「今夜は食べてから帰るよ。迎えヨロシク。駅からtelする」とか書いてあるから、遠慮なく豪快に笑ってやれよ。それから後は、もういい。心臓はうっちゃって置こう。お前は全裸になって商店街へ飛び出せ。解放されるんだよ。恍惚として涙が出るんだよ。「ワタクシはカミである」とか叫んでみるか?いかにもいかにも馬鹿臭いねえ。これでいい。今は静かにおやすみ……。

 私は十日前の月曜日に、JRの貨物基地の奧へ連れ込まれ、停まっている貨車の鉄輪に身体を押しつけられて、誰かにこんな暗示を掛けられたのだ。暗示を掛けた人の顔は思い出せない。夢で見る時にも恐ろしくて眼を上げられないから、たぶんもう二度と思い出せない。私のコートのポケットには、今も裏蓋に蛇の線刻がある銀側の懐中時計が入っている。あいつが入れたのだ。この時計が何日後かに、何時かを指したら暗示が発動してしまう。私はそれがいつかを知らされていないが、確実なことだ。その証拠に私は毎日、何回も時計を取り出して蓋を開け、時間を確かめる。それに御徒町の裏路地のショップで三日月型に反り返ったナイフを買ったとき、下半身から登る性的な快感にうずうずと脊髄を震わされた。声が出そうになるほど、喜びに濡れていた。店を出ると途端に興奮が冷め、風音と生臭いカラスの叫びで二月の空は隙間なく満たされていた。温かいものを飲みたくてもポケットに小銭一枚残っていない。道には誰もいないが暗い光の中、あいつの残像が薄赤い影になって私のすぐ横に立っていた。今もおそらく立っている。それからは顔を真っ直ぐに向けたままでいる。右にも左にもどうしても動かせない。時々、肩の上でゴキブリがカサコソと音を立てる。それでも顔を横に向けられない。
 通勤の駅のホームに立って、正面のビルのディスプレーを見ると、ニュース記事の中に必ず人の轢死の記事が混じるようになった。毎日、必ず一本はある。私は覚えていないが、子どもの頃一緒に轢死事故の現場を見たことがある、と亡くなった父から教えられた。だからかどうか、記事を目にすると、鼻の奥に生臭い臭いが溜まる。急ブレーキで鉄輪のきしる音が聞こえる。心臓が高鳴り膝が震えてくる。それなのに私はニュースの死者の名前と年齢を一字一句間違えずに覚えてしまう。それが消えない記憶として堆積し続ける。あの日からのことだ。ホームに立って列車を待つ大勢の人々はみんな、やがて私が恐ろしい殺人鬼と化すことを知っている。血まみれになって、興奮を抑えきれずに高笑いすることを。せめて裸を美しく見せるために私が値段の高いボディソープを使い、毎夜ダンベルを振っていることも。そんなことになる前に私を殺してしまおうとする人も出てくる。今日も香水の強い中年の女から、列車が入るホームの端で背中を押された。かろうじて踏みとどまると、後ろで舌打ちの音がした。当然誰もが知らぬ振りをしている。私は振り向くどころか隣の人へ顔を向けてみることもできないけれど。

 どうしようもない。しかたがない。私はスターバックスの片隅でコーヒーを飲みながら「でっかいメロン」の歌を呟くように歌う。
 めろめろメロン、虫の息
 すやすや子猫、お尻小さな子猫たち
 だけど、でっかいメロン、でっかいメロン
 ふたつに割られて、あおいきといき
 お汁こぼれてびしょびしょに
 猫さんまあるくねむんなさい
 首が取れてもねむんなさい
どうせ、私が殺人鬼になって歌うときには歌詞もメロディも違っているだろう。それはよくわかるけれどやめられない。やめてやめてと心の中であらがってもみるけれど、やめられないで歌っている。

 わたしはもうすぐわたしでなくなる。だからこのうた、にばんはあなたがつくりなさい。


自由詩 通俗ホラー詩 「鉄輪」 Copyright 右肩良久 2008-09-23 18:23:14
notebook Home 戻る