カルミナブラーナより
北村 守通

まずはこちらの詩をご覧ください

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「われら、居酒屋にあっては」



我々が居酒屋に居る時は
場所がどこかは気にしない
そして、すぐ賭けを始める、
賭けは汗をかくものだ。
居酒屋の中の出来事
金が執事のその居酒屋でのことなら
ここでたずねるがよい。
私が教えたら、聞くがよい。

賭けをする者
酒を飲む者
あるいは両方楽しむ者がいる。
だが
賭けをしに残っている者の中には
着物をとられた裸の者もいれば
まだ着ている者もいる、
金袋で体をおおう者もいる。
そこでは誰も死を恐れない
皆バッカスのためにくじを引く

  酒を買ってくれた御方のために一度
  自由な人々はその酒を飲む
  それから囚われ人のために二度飲む
  次に生ける者のために三度
  全キリスト教徒のために四度 
  信仰に死せる者のために五度
  か弱い姉妹のために六度
  森を護る兵士のために七度飲む

  誤れる兄弟のために八度
  各地に散った僧侶のために九度
  船乗りのために十度
  けんかする者のために十一度
  悔い改める者のために十二度
  旅に出る者のために十三度
  法皇のためには、国王と同じ数だけ
  誰もが許しもなく飲む。

  主婦も飲む、主人も飲む
  兵隊も飲む、牧師も飲む
  この男も飲む、あの女も飲む
  下男も飲む、女中も飲む
  すばしこい男も飲む、のろまも飲む
  白人も飲む、黒人も飲む
  常連も飲む、立ち寄りも飲む
  まぬけも飲む、賢者も飲む
  貧乏人も、病人も飲む
  追放者も、よそ者も飲む
  少年も飲む、白ひげも飲む
  僧侶も飲む、司祭長も飲む
  姉も飲む、兄も飲む
  老人も飲む、母も飲む
  あの女も飲む、この男も飲む
  百人も飲む、千人も飲む

六百ペンスは
少なすぎて長持ちしない
放縦に限度なくみんなが飲むときは
愉快に飲めるだけ飲ませるがよい。
このように
人は、皆われわれを苦しめる
そのためとても貧しくなるのだ。
我々を苦しめるものは、戸惑うがいい。
正しい者とは区別されるがいい。

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はい、お疲れ様でした。こちらの詩は出てくる人物を見ていただければ一目瞭然なんですけれどもヨーロッパの詩が日本語に訳されたものです。どうでしょう?(個人的には和訳がもうちょっとなんとかならんかったのかなぁ、と不満もありますが)屁理屈つけて講釈たれながらベロンベロンに酔っ払っている居酒屋の中の客達の風景が、ぷぅんと臭ってきて、視界には霧が入り始めている様子に、読んでいるこちらが三半規管を麻痺させられそうではありませんか。皆さんの飲み方にも思い当たる節はありませんか?
 
この詩が登場する作品、それが今回お話しする「〜世俗的カンタータ〜 カルミナ・ブラーナ」なんですね。なお、今回紹介させて頂いた日本語訳は、株式会社オクヴィア・レコードから販売されています「カルミナ・ブラーナ」<指揮:小林研一郎 演奏:日本フィルハーモニー交響楽団>から抜き出させて頂いております。
この曲の作曲家はドイツの「カール・オルフ」。20世紀の作曲家です。が、この詩の部分につきましてはバイエルンのベネディクト教団修道院から発見された、13世紀の歌集なんです。その内容は教会批判に、性の解放に・・・それは、まぁご自身で聴いて読んでみてください。(いや、一部もうネタバレしていますがね。)
 詩の内容が大変自由奔放ですが、作曲家のオルフさん、それが分かっていますから、真面目で明るい曲調で、この詩の存在を浮き上がらせます。自由奔放を感じさせる詩の内容に合わせて、自由奔放な曲想で合わせてもよかったでしょうが、そうはしなかったところに作曲者の趣を感じてしまいそうでもあったりします。

先の詩ですがどうでしょう?
ちっとも古さなんか感じないでしょう?(ボクだけですかね?)
しつこい位に描かれる「飲む」という行為。人数が増えていきますから、脳内に必要となる空間が必然的に拡大されていきます。脳内が飲む、という行為で埋め尽くされていき、自分自身も飲まされます。
 最近の詩でよくみかける物に、ある一つの漢字だけで紙面を(画面を)埋め尽くしているだけのもの、等といったものがあります。正直、ボクはその類の表現を見せられても、なんと答えてよいものかわかりませんでした。(コンセプトがわからなくて)でも、もしかしたらそれらはこの「われら、居酒屋にあっては」の詩に描写され続ける「飲む」と同じように、読み手の脳内を占拠させたかったのかもしれないなぁ、と考えているところです。一字にこめられている自分自身を伝えるために余分な物を加えたくない、というのもわかるのですが、「より一字を伝える」には不純物を一緒に用いることが必要だったりするのかもしれませんね。ためしに上の詩の「飲む」を別の動詞に代えてみると・・・やっぱりすんげぇ面白いですから、是非遊んでみてください。

 と、いうことでお邪魔いたしましたが、最後に合唱曲って詩との出会いとしても、朗読としても大変面白いものです。是非是非、合唱を楽しんでみていただけたらな、と思っていたりするしだいなのであります。


散文(批評随筆小説等) カルミナブラーナより Copyright 北村 守通 2008-09-20 13:31:28
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