彼岸
榊 慧

祖父は人望があり教養があり武道にも長けていて体つきも良く美男で髪の毛が黒々としていて緩やかなウェーブを描いていてふっさふさだったらしい。
俺の近所には日本で初めての民間飛行機場があったというところがある。
敗戦したと言うしらせを聞いてそこで自決した男の人もいたそうだ。その自決した男の人の中には、祖父の部下もいたかもしれない。もしかしたら。確か、祖父は大阪で陸軍の少尉をやっていたらしかった。指導していたとか誰かが言っていて、でも俺はあまり知識がないからそのときの軍の体制がどんなだったかとかはわからない。祖父は戦後、兄弟が戦争やら病気やらで死んでしまい家を継がなければならなくなったので勤めていた会社をやめた。
祖父は何故か英語が読め、戦前はそれはそれは女子に好かれていたと生前俺に語った。俺の記憶の中の祖父はおだやかでユーモアのあるやさしい老紳士でしかなかったけど、祖父の兄弟や祖父が若かった時の写真に写っている男の人は、みな似たような顔立ちではありながら、凛々しく格好の良い美男だった。
俺には想像することしか出来ないけどあの時代、大抵の人が楽に生きていくことは出来なかったと思う。祖母は俺の歳には工場で休みの日もなく働いて、それでも勉強していたという。戦争が終わってからもがむしゃらに働いて働いて勉強して、嫁いだ先での女の人の身分はとんでもなく低くって、でも頭もものすごく切れてそして烈女で。運動神経もものすごく良く、文章が上手い。孔子とかそういうのは多分今でも暗唱できるんじゃないかと思う。書道は夫婦そろって師範代だ。槍術が出来たとか出来ないとか聞いたけどどちらが本当かはわからない。
祖父は幸いにも外国へ行かされたりなどはしなかったけれどもあの時代の人たちにはみんな当然に、至極当然にそれぞれ大切だったり何より愛していたりしていた存在の人がいてそれぞれに歩んでいくはずだったんだと考えると俺は行き場の無い何かが俺の中から罵倒する。「お前はぬくぬくと何をしているんだ!何をやってるんだ!」
祖父に聞きたかった。いろんなことをもっともっと聞きたかった。ちくしょう、戦争なんて消えてしまえばいい!いや、消えるべきだ!もう文脈とかめちゃくちゃで前後がかみ合っていないけど、それどころじゃない。戦争からなんとかこうとか生き残って生き残った人たちがせっかく生き残ったのに苦しい日本を復興させるためにまた死に物狂いで頑張って、そうした人たちをまた苦しませるのかこの野郎!
俺は今まだ未成年だし未熟だし莫迦だし阿呆だしでどうしようもない餓鬼だから何か間違ってるのかもしれない。間違いだらけに違いない。そのうえ非力で何も出来ない。けれどおかしい。絶対に、おかしい。せめて、俺の世代の人たちに戦争の馬鹿野郎!ていう気持ちがわかってもらえたらなと思う。帰ってこないことが異常に多すぎる世の中はおかしいことなのだ。
祖父に聞きたかった。
大切な人が亡くなるってのはこんなにも悲しい。
俺はどうしたらいいのか、それすらも分からないしょうもない餓鬼で、だから祖父に聞きたかった。「甘え」だと怒るかもしれない。それでもいいから聞きたかった。




散文(批評随筆小説等) 彼岸 Copyright 榊 慧 2008-09-20 02:30:55
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