渡り損ねたひと
恋月 ぴの

(一)

「ぴーちゃん、ぴーちゃん
トイレってどこなのぉ」

河原の石をひっくり返しては
何やら探していた
まーちゃんが突然立ち上がったと思ったら
おいらの元へ駆け寄ってきた

こんもりとした隈笹の茂みを指差すと
一瞬躊躇したものの我慢しきれないのか
前を押さえながら茂みの奥へと消えていった

まーちゃん
本名なんて知りはしないし
これからも知ろうとはしないだろう
おいらにとって
「まーちゃん」はあくまでも「まーちゃん」で
大切な大切な友だちなのだから


(二)

根岸の家を飛び出して
新宿二丁目に流れ着いたとき
黄色い羽毛に覆われたおいらの容姿に
誰もが怪訝な顔で取り合おうとしなかったのに
まーちゃんだけは声をかけてくれた

頼み込んだ訳でもないのに
馴染みのちーママに声をかけてくれて
おいらの働き口まで紹介してくれた

まーちゃんってひよこの彼氏を囲っているらしいよ

そんな噂話を気にすること無く
働き始めたお店にお客として通ってくれた


(三)

まーちゃんはゲイなことを隠そうとしない
それでも昔はおんなの人と恋をして
ふつーに結婚をして
ふつーに子供なんか作ったりした

まーちゃんの友だちに聞いたのだけど
冬になると雪深い地方に
お子さんはお母さんと二人で暮しているのだとか

ほっぺを真っ赤にしたまーちゃんそっくりのお子さんが
お母さんに手を引かれながら
真っ白になった畦道をとことこ歩いていく

そんな光景を勝手に想像なんかしてみたりする


(四)

紅葉には一足も二足も早いのか
僅かに黄色く色づいた楓は夏の盛りを引き摺る風に揺れ
色鮮やかな狂乱の最終章を待ち望む
幕間の気だるさにも似た気配が山あいの静けさを支配して

スベア123Rの息遣いだけが
巡り行く生の揺らぎを物語っていた


(五)

適当な岩にふたり腰掛け
淹れたてのコーヒーをすすりながら
ちーママの差し入れをかじる

麻布にある有名店のクッキーだとかで
ほど好い甘さがコーヒーの渋みを引き立ててくれる

トイレに行ってさっぱりしたのか
まーちゃんは口一杯にクッキーを頬張りながら
ひとしきり誰それがどうしたとかの噂話に花を咲かせ

「ぴーちゃん、こんなの拾ったよ」

ジーンズのポケットから取り出した
どんぐりの実ひとつ

まーちゃんの力仕事なんて知らない掌から
うっかり転げ落ちて
岩と岩の間に口を開けた闇の奥へと消えてしまった




自由詩 渡り損ねたひと Copyright 恋月 ぴの 2008-09-19 18:43:09
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