ナナカマド
Utakata





1.
夏の最期に間に合うようにそろって頼んだ檸檬水を交互に啜っては、八月をひたすら微分してゆく。向かいに座ったともだちの袖口から空色の蜥蜴が滑り落ちて、小さな鳴き声を立てると凄い速さで店の外へと走り去っていく。それが当然だというふうにともだちはにこにこと笑っているので、ついに質問をすることができずに居心地の悪いまま檸檬水を小さく吸い込む。微分された夏がだんだんとゼロに近づいていく。



2.
幼い約束のようにして掌に掬った七竈の実が零れ落ちる速度に堪えられない。



(1)
雨上がりの振りをした空をひと睨みして歩き出すとすぐに、ランドセルを背負った昔の自分が追い抜いていって、あっという間に腕を伸ばしても届かない街角を曲がって消えてしまった。真赤な蝶に似た色彩。いつまでも網膜の上に踊る。



3.
市松模様のテーブルの上に水滴が溜まっている。氷が甲高くきしむような音を立てては溶けていくのにつれて、逃げ場を失った水も堅い幾何学模様の上を侵食してゆく。帽子を目まで被った男が店の前を通りかかって、中に二人しかいないのを見て取ると気抜けしたように去っていく。しばらくして乾いた砂がなだれ落ちるような音と共に夕立が訪れる。



4.
七竈の果肉が黒ずんでゆくにつれて、掌の上に鈍い痛みがだんだんと強くなっていき、表皮から身体の奥深いところへと埋まってゆく。身の回りにあるものごとはいつだってそんなふうに取り返しのつかないところまで損なわれてしまうことは知っていた。はずだった、のに。乾ききった喉のせいで、あげようとした泣き声は潰された紙屑みたいな音と一緒に死ぬ。檸檬水を口に運んでも、乾きのほんの表面だけを撫でては滑り落ちていく。



(2)
いつのまにか街の風景が空色に溶けかかっていることに気付く。再び空を見上げると、透き通った雲のなかに幽霊たちが何人か紛れ込んでいる。昼の月の浮いたあたりをしばらくのあいだ漂っては、蜻蛉たちのはばたきに飛ばされてはどこかへと消える。最後に雪虫を見たのはいつのことだったか、唐突にそんな疑問が頭に浮かぶ。



5.
走っていった蜥蜴が戻ってきて、ともだちの肩へ這い登っていくと耳元で何かをささやく。信じられないほど細かな白い歯がうすくらがりのなかでちかちかと瞬くのが見えるが、ささやいている言葉の意味はここからはわからない。ともだちは小さく頷いて立ち上がると、そろそろ行かなくちゃといって店の外へと歩き出そうとする。店を出る間際になって何かにふと気付いたように立ち止まると、ともだちはまたこっちのほうに戻ってきて、馬鹿みたいにテーブルの上に置かれたままの掌の上に、またひとつ新しい七竈の実をひと房落として小さく笑うと、今度は本当に店を出て行ってしまう。最後の瞬間に、鼠鳴きにもにた蜥蜴の鳴き声が聞こえた気がした。残されたって何ができるわけでもなく、ただ手の中に残ったものが少しずつ損なわれてゆくのを黙って見つめることしかできない。




自由詩 ナナカマド Copyright Utakata 2008-09-10 08:42:00
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