東京ディズニーランドへようこそ
青木龍一郎

入園して夢の国に来た
金払って夢の国に来た
千葉に夢の国があった



東京ディズニーランドへようこそ。
臆病な僕は、夢の国の愉快な仲間達から逃げてしまう。

彼らは
おどけた仕草で
顔面神経症患者のように
表情を固定させ
音楽に合わせて
踊っている。

いや、音楽が無くても踊っている。

奴らにとっては
子供の笑い声
アトラクションの動く音
風の音
自分の心臓の音
全てがハッピーなBGMだ。
それはみんなにも常に流れていて
でも、大人たちはそれを聞こえないフリしてる。
だから、夢の国に行くんだ。



あ、それからミッキーと僕っておんなじ。
確かに僕はうんこみたいな引きこもりかもしれない。
でも、ミッキーだってディズニーランドにずっと引きこもってるぜ。
一歩も出ない。
ありゃ重症だ。
何十年間も夢の国に漬かってきた。


僕にとっての部屋は
ミッキーにとってのディズニーランドだ。

暗い部屋で一人、ミッキーと同じ踊りをしている。
僕はみんなのリーダー、みんなの友達、ミッキーマウスだった。
湿った部屋で、タオルで体を拭くミッキーマウスだった。
まるで病室のような場所で、誰も居ないところに向かって手を振っているミッキーマウスだった。




人々は自らの人生をウォルトの作り出した楽しい楽しい世界に重ね合わせることができる。
きっと、ウォルトがそうできるように作った。
楽しい人生の象徴。
くそったれな人生の象徴。
人はそれぞれのディズニーワールドを妄想することができる。

僕は半年前「病室で笑ったミッキーマウス」という詩集を完成させた。
そして、それは僕に詩を書く大きな意味を与えてくれた。
ウォルトには感謝している。




ウォルトはまず、だだっ広い土地に柵をたてた。
やがて、そこに一匹のねずみが入り込んできた。
そいつはやがて、アヒル、黄色い犬、はたまたガールフレンドもそこに連れ込んだ。
そして、みんなが永遠に笑っていられるように願った。

だから、奴らは本当に永遠に笑っている。
これからも笑顔で踊ったり、集団で練り歩いたり、子供を抱きしめたり
障害者に手を振ってみたり、ブラジルの工場で働いてみたり
子供を殴り親を蹴り老人を殺し赤ん坊を食べたり、入国者は性別問わず強淫したり
わざとらしい仕草で投げキッスしたり、夢に耐えたり、杖を突いて笑ったり
黄色の風が肌を撫で回して『見えない』と言ったり、投げキッスを返したり
女子中学生にアメあげたりし続けるだろう。



子供たちの顔から笑顔が消えたとき、ディズニーランドの住人は一斉に
パーク内から脱出し、日本全国に散らばるだろう。
そして、各々が各地に新しいディズニーランドを建て始める。

ミッキーは新潟に夢の国を。
ミニーは岐阜に夢の国を。
ドナルドは福島に夢の国を。
グーフィーは広島に夢の国を。
プーさんは大分に夢の国を。
チップとデールは京都に夢の国を。
バズライトイヤーは山形に夢の国を。
白雪姫は徳島に夢の国を。
ミスターポテトヘッドは埼玉に夢の国を。
クリミナルクイントは愛知に夢の国を。


日本中が愛に溢れた風が吹き始めて
子供たちは狂ったように笑い出す。
夢を失ってしまった大人たちは、空を眺めて「何かある」と呟く。
全ては抱きしめることができたのに
それなのに、それをしなかった。





「成功すると、いつも僕を襲ってくる奴らがいた。」
                             _ウォルト・ディズニー




Walt Disney
本名ウォルター・イライアス・ディズニー
(Walter Elias Disney)
1901年12月5日 - 1966年12月15日




日本中が愛に溢れた風が吹き始めて
子供たちは狂ったように笑い出す。
夢を失ってしまった大人たちは、空を眺めて「何かある」と呟く。
全ては抱きしめることができたのに
それなのに、それをしなかった。


僕は僕の部屋に夢の国を。
誰もが、自分の夢の国を作ればいい。
そして、その中を、永遠に絶えることの無い笑顔で歩き回ればいい。
風は僕らを撫で回し、斜め上に静かに消えていく。
朝が来るのも、夜が来るのも、光が見えなくなるのも関係ない。
朝が来るのも、夜が来るのも、光が見えなくなるのも関係ない。













引きこもりな僕らはミッキーマウスだった。
















僕は叫ぶよ。
「ヘイ、ウォルト。元気してるか?」ってね。


自由詩 東京ディズニーランドへようこそ Copyright 青木龍一郎 2008-08-25 11:14:11
notebook Home