掴まり立ちする息子を支え、
私に振り向く妻の肩先に思い出す情景がある。
思い出すとあの日私は
父親の傲慢な仕打ちに猛然と腹が立ち、
押し入れの中の布団に向かって拳を突き入れた。
幼い頃にはその中に隠れて
自分を押し殺しもしたが、
また別の日には悪さをして閉じ込められた暗闇へ
拳を突き入れた。
母や兄には平然とした姿で通そうと思い、
心を落ち着け戻ろうと振り向いたが、
振り向いたその姿に
見覚えがあった。
その仕草に見覚えがあったのだ。
私は愕然として打ちのめされた。
繋がっているという明快なるシグナル、
血というものが持つ逃れられない運命の力、
この世の全ての否定すべき者の第一等にこそ、
自分が繋がっているという血の意識に
打ちのめされた。
あれから何年経つのだろう?
今では定かでない理由から発した衝動に
私は確かに打たれたのだった。
掴まり立ちをし始めた息子を見て妻が言う。
ほら右の肩先を下げる歩き方、それって
あなたに似てるわ。
ほら振り返る仕草って、あなたに
そっくりよ。
私は心の奥の奥の底の底の暗闇に繋ぎ止められる。
私が父から引き継ぎ、
全面的に否定しようとした何ものか全ては、
この子に引き継がれてしまった。
それは何か?
未だに私には分らないのだ。
でも、
それは一種の奇跡なのだとも思うのだが。
奇跡をあなたは信じますか?
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血というものが繋ぐものは何でしょうか?
若い日の否定すべき強い想い?
もし愛を繋いでいけるとしたら、それは神さまが与えてくれた
本当の奇跡かも知れません。
その答えは自分にはまだ十分に分らないのです。