お菊と清十郎
星月冬灯


 私はお菊人形

 白い面(おもて)に紅をさした唇

 長い髪を粋に結い上げ

 ハイカラな着物をまとった人形

 
 自分で動くことはできず

 いつでもご主人さまの

 清十郎さまに操られるこの身


 感情も心も無い筈なのに

 気付けば私は

 清十郎さまに恋をしている


 想いは日に日に募り

 能面の頬を濡らすあまり


 けれど私は人形

 人間のように

 恋をしたって

 心をもったって

 所詮は作りものでしかなくて

 
 その内清十郎さまに

 恋人ができて

 私はこの世を怨み

 この身を呪い

 夜な夜な

 髪を乱しながら

 泣き暮れる


 芝居の中でも

 私は男に捨てられた

 「お菊」を演じて

 今こうして

 恋する男に

 この想いさえも

 気付いてもらえない

 悲しい女を演じている


 けれど

 どんなに清十郎さまが

 他の女を好いていようとも

 この私は


 このお菊だけは

 決して手放さない

 嬉しいけれど切ない

 我が胸の内

 ただ清十郎さまだけが

 知らない


 人間になりたい

 この身が変われば

 心も体も私のもの

 あんな女には渡したくない

 精悍で気の優しい清十郎さま

 本当の貴方をわかっているのは

 この私だけ

 きっとあの女に

 誑かされたに違いない


 ああ

 この身が人間になれたなら


 この醜い心の声が

 聞こえたのか

 ある日

 気の狂った女が

 私を罵り刃物で

 切り刻もうとした


 とっさに私を庇った清十郎さま

 おかわいそうに

 人形師として大切な腕を

 傷付けてしまった

 私への愛故に

 簡単に女を裏切り

 殺めてくれた優しいお人


 ああ

 清十郎さまは

 私を選んでくれた

 生身の人間の女よりも

 顔色一つ変えられない

 このお菊のことを


 私は知っていた

 清十郎さまが

 私を選んでくれることを

 
 私を見つめる目

 その仕草

 その気遣い

 まるで恋人のように

 慈しみ深く接してくれる

 清十郎さま


 私をそっと抱き上げ

 小さな小舟に二人だけ

 波に揺られながら

 どこか知らない場所まで

 ずっと一緒


 ぽたりぽたりと

 私の白い顔に

 清十郎さまの

 赤い血が滴る


 哀しそうに

 切なそうに
 
 小さく微笑みながら

 私と清十郎さまの手には

 赤い紐


 どこまでも一緒に

 離れないように

 たとえ二人

 地獄に墜ちようとも

 私たちはどこまでも

 一緒


 ゆらり

 ゆらり

 私と清十郎さまを乗せた

 小さな小舟は

 どこまでも

 揺られたまま


自由詩 お菊と清十郎 Copyright 星月冬灯 2008-07-26 09:17:24
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