陽子と教育
キリギリ

ありふれた言葉に価値があるのはそれを
発した人間が特別だったからで特別でも
なんでもない貴方がありふれた言葉を発したところで
祭る神輿も掛けるベールもなく剥き出しの壁を彩る壁紙ほどの
効果もないまま風に吹かれるでも水に流れるでもなく
こびりつく汚れのような苛立ちすら与えずその発声は
結局のところざらついた呼吸と同程度の扱いで無視される。
貴方は貴方が思っているほど特別ではないと言うと
「私は自分を特別だとは思っていない」と返ってくるから
貴方は貴方が思う通り凡庸だがその凡庸具合は貴方の想定より
ちょっと大きいかもしれないと言ってみる。平凡な言葉で
大切なことに気付いて欲しい、つまり相手の感受性頼みで
私を持ち上げて欲しいという無茶で身勝手な思考で産まれる
あらかじめ骨のない哀れな赤子は子宮からぬるりと落ちて動かない。
母よ何をした。母よどうにかしろ。日の目を見なければ無限の
可能性を保持し続けられていたものを貴方の脱糞のようなストレス
発散の意味合いが強い出産は取るに足らないものを露にし
既にあるトマソンを1個増やした。枯れ木で賑わう枯れ山は
死の匂いすらなく墨絵のように垂れる雨もなく視界の隅で
あるとしか言いようのない風情である。貴方の詩はまだ
胎児にも成りきれていない精子だ。出すところを間違えている。


自由詩 陽子と教育 Copyright キリギリ 2008-07-16 21:53:39
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