ヒデキチサイコー
ポロリ
言葉を綴るのに、少し離れていたので、伝えたいことが伝えきれるかわかりません。だから、思考の順序がバラバラになっちゃうと思うのですが、ちょっとだけ僕に時間をください。
なんという寺だったか、記憶が定かではないのですが(もちろん日記を見ればわかることなのですがそれをしちゃうと今の感覚が失われちゃうとおもうのです)、その概観は存在で人を威圧するようなところでした。
石庭で住職と会いました。彼は言いました。「この庭は今時期の夕暮れ時が最も綺麗なのです。日の入る角度が丁度良い具合で、砂利と湖水に反射して、金色の野と海を演出するのです」と。
果たして、彼の言は肯んじざるを得ないものでした。ただこの時は、金色の野と海にただ一つ立つ燈篭の塔が、物悲しく孤高を保っているかに見えました。それはこの寺を建てた人物の個人的な印象がそうさせたのかもしれません。
広間に通されると、真っ赤な敷布と濃い群青の敷布が、一つずつ並行に並んでいました。50畳ほどの空間にそこに無ければならぬといったバランスで、ぴたりと納まっていました。招客として座ると、はっと気付きました。敷布に沿うようにして屏風が立てられています。赤い敷布のほうには紅葉の金屏風が青い敷布のほうには芭蕉の金屏風が吸い付くように納められています。その人工的な感覚がなんとも言えず不可思議で自然とそちらに目が行きました。
名物に感嘆し、自慢話に辟易した頃、辺りは完全に日が落ち闇の支配に入っていました。名物に目を奪われていたからでしょうか、部屋には蝋燭の灯が点いていました。するとどうでしょう。金屏風に彩られていた紅葉と芭蕉が、朱色の夕日と安閑とした沼地に鮮やかに照らされているではありませんか。あっ、と呻いたのは僕ばかりではなかったでしょう。思わず亭主のほうを見ました。私はこの時の彼の勝ち誇った顔を一生忘れはしないでしょう。
利休と秀吉というと、どうしても利休が先生で、秀吉が生徒。そして、芸術に関してどうしても先んじ得なかった秀吉が政治を口実に利休を殺したとかそうで無いとか、そんな話が僕の脳裏をよぎります。しかも、利休といえば、わび・さび・かろみという、日本の三大美の功労者という記憶から逃れられません。なので、秀吉に関して、キンキラキンでわび・さびもわからなかった政治家としか、僕には思えなかったのです。
しかし、この観念は間違いではないかと最近思うようになりました。
金、というと、どうしてもジョルジュ・サンクの金便器とか、叶姉妹とか、ゴージャスだけど・・・(ex.縁起物)みたいな感覚が私にはあるのです。でも、金の効果はそれだけではなかった。反射によって多様な効果を生じうる媒体でもあったのです。
秀吉の金の茶室。あの中に朱色のあるいは紫の衣をまとって入ったらどのように見えるのでしょう?あの中で名物はどのような輝きを見せるのでしょう?