19才の春
天野茂典

<冬の北海道>                   


夏の北海道は、数10回ほど放浪している。
ヨーロッパ旅行よりは楽しい。
けれどもほんとうの北海道の顔は冬にあるとおもわれる。
19才の冬ぼくたちは10000円を持って家をでた。
大学生だった。旭川を目指したのだった。冬の北海道は圧倒的
だった。
ディーゼルカーは雪林を裂いて走った。こんなに沢山の雪をみた
ことはなかった。すっぽり白鳥の翼に包まれているようだった。
42年前のことである。この旅は青春にふさわしい波乱にとんだ
ものになった。

釧路の奇跡

旅はおもしろいものだ。おもいどおりにはゆかないものなのだ。
大学時代に冬の北海道を旅していて、信じられないことが起こったの
だ。
それは雪のまいちる釧路でのことだった。その日紋別から釧路までオ
ホーツク海を眺めながら旅した。無一文だった。厳寒のなか夜の10
時に駅のシャッターがおりた。ぼくたちは街に放りだされた。ホーム
レスのように本能的にネオン街を歩き回った。
雪がしきりに降っていた。
そんなときだ、なんと10000円札の半分が、路肩を散って行くの
を発見したのだった。
そうしてしばらく行くうちに残りの半分をみつけたのだった。
ラッキーだった。
ぼくたちは喜んで、ラーメン屋にかけこんだ。

知床の海

バスはくれてゆく知床の雪道を、チェーンの音をたてながら進んでい
った。
北欧のような憂鬱な重いたそがれだった。
今夜はユースホステルに泊まるのだ.宇土呂漁港はカラスが何百羽と
乱舞していた。
地の果てだった。
流氷がほのじろく海水をおおっていた。いまこの地には放浪者はぼく
たちふたりしかいなかった。ぼくたちは自然の偉大さと、かなしみを
知った。
ユースホステルもぼくたちだけだった。
人間がホットだった。
夜は流氷がぶつかり合って軋む音がしていた。
寒かった。
心から寒かった。
翌日は晴れだった。ぼくたちは流氷の上を歩いた。流氷が海面に接す
る底は蛍のようにひかっていた。.気がつくと3キロも沖あいにふみだ
していた。クリオネも雷鼓もまだ世にブレークするまえの知床の冬だ
った。

旭川の夜

雪は落ちそうで、落ちなかった。路上で落ちそうで、また舞い上がっ
た。いくらみていてもそうだった。旭川は氷点下なん10℃なんだろ
う?それでも街のなかは賑やかだった。ぼくたちは二人でふるえなが
らデパートに向かっていた。
彼女はまだおさなかった。
それでもぼくたちは恋人たちのようにわくわくしていた。
彼女は陽気でおしゃまだ。
道につまれた雪をぼくにぶつけては、はしゃいでいた。ぼくたちはや
がてデパートにたどりついた。この冬の北海道放浪でいまがなぜかい
ちばん幸せにおもえた。ぼくはおさない恋人のまえで無垢な19才の
少年にすぎなかった。
デパートにはいった。あたたかった。
ぼくたちはエレベーターにのりこんだ。
数階をのぼると誰も客がいなくなった。そんなときだ。
彼女はぼくの手をとると自分の胸に押しつけたのである。
旭川の旅も終わりの一夜であった。

無賃乗車
        
ぼくたちはなけなしの金をはたきながら旅をつづけていたのであった。
釧路から旭川までは無賃乗車であった。たった2両のディゼルカーで、
いつ車掌が検札にやってくるか心配で人心地がつかなかった。
どう記憶ちがいをしたのか、ほんとうは根室駅からだったのか曖昧で
乗車した次の駅は花咲であると思っていていまだに解決しないでいる。
旭川駅についてからどうやって改札を潜りぬけたのかもおぼえていな
い。
ぼくたちは10000円で、一週間、北海道を放浪していたのである。
旭川には友達の親戚があったのだ。ぼくたちはここを頼って暖をとり
にきたのだった。ぼくたちは3階の部屋に通された。
ストーブが炊かれていたが、寒くて1メートルと離れられなかった。
それも日中のことである。
厳しい自然のなかで生きている北海道の人たちのことが愛しくおも
われた。
ぼくはここではじめて質屋に通いカメラを質草に金を借り、その金
で電報をうち、寿司屋をやっていた親父に無心して旅費のたしをお
くってもらったのである。
やはり10000円であった。

春望

それは夜中の特急だった。ぼくたちは北海道から、津軽海峡をこえ
て、日本海側を疾走していたのだった。下車駅は村上だった。
青森県から新潟県に入って間もなくだった。
特急はとてつもなく速く電灯だけが灯った無人の構内に滑り込んだ。
未だ午前2時にもなっていなかった。
ここでも友達の親戚を尋ねての途中下車だった.。
町は完全に寝静まっていた。
ぼくたちは途方に暮れたが、それでもバッグを下げて深夜の町の中
に入っていった。とても眠かった。
仮眠がとりたかった。
ぼくたちは町のなかをうろつきまわり、やがて一台の小型トラック
に目をつけた。鍵がかかっていなかったのだ。
ラッキーだった。
ぼくたちはためらいもなく運転席に乗り込み、完全に寝込んでしま
った。
たたき起こされたのは牛乳配達のアンチャンだった。
かれはフロントガラスからぼくたちを睨めつけ声をあげてなじっ
ていたのである。やむなくぼくたちは追い出され、町の隅まで歩い
た。
畑のまんなかに藁が積み上げられた一角があって、ぼくたちは、そ
こをベッドと決めこんだ。
とても暖かだった。
北海道と雲泥の差だった。
ぼくたちは桜の花が満面咲き誇った桃源郷にいるような気持ちにな
った。
そこには桃の花も杏の花も藁しべのぬくもりと等価でぼくたちをや
さしく包んでくれた。ぼくたちは冬から春へ急にワープするのを知
った。
大地は既にちいさな木の芽を育んでいるのだった。


                  2004・7・4









自由詩 19才の春 Copyright 天野茂典 2004-07-14 07:46:55
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