自分を知ること
結城 森士

父親から教えられた一番印象深い言葉は「Never Give Up」と「負けるな」言う言葉だ。何があっても絶対に諦めるな、負けるな。この言葉は、常に信念を持ちその信念を信じ続けた父の生き方そのものだ。
僕には、諦めてはいけない理由もないのに、ただ諦めることだけは許されないという忌まわしい言葉だった。そしてその「Never Give Up」と言う言葉だけが2年間、僕を根拠もなく支えてきた。そしてその2年間は、まさに失敗と挫折の歴史だった。




憧れていた女性に「自分を買いかぶりすぎない方が良い」と言われたことが悔しくて、その瞬間からの2年間、僕は迷走を繰り返した。その女性に許してもらおうともせず、女性に対する憎しみから彼女を避け続けた。
「俺ならもっと出来るはずだ、俺ならもっと出来るはずなんだ」その言葉だけが僕を励まし、僕を支えた。2年間の間に僕の取ったすべての行動の源はここにあった。「自分を買いかぶらない方が良い」と言われたあの瞬間を何度も何度も反芻して、それによって更に「俺はもっと出来るはずなんだ、他の凡人とは違う」と思い続けた。
今考えると、まさしくそれは相対的に見れば凡人以下の発想なのだろう。
弱い自分と強い彼女に対して、向かい合うほどの自信がなかったのだ。

なぜあの女性に憧れていたのか。それはきっと彼女が己を知る人間だったからだ。己を知る人間とは、自分をわきまえている人間のことだ。
僕は自分をわきまえない人間だった。常に完璧を望むくせに、その努力が出来なかった。ちょっとした出来事を自分の中で大げさに解釈したり、悲劇的に解釈したりすることによって、悲劇から立ち直る英雄としての自分を夢想してその場をやり過ごしていた。ここにこう書いていること自体が、身に起こった出来事を誇大解釈している証拠でもある。僕はそういう人間なのだ。今、認めざるを得ない。


自分を特別視していたし、少しでも否定されるとすぐ怒った。とにかく人に認められたがるし、そのためなら自分を繕った。

失敗したときに自分を慰める言葉としての「僕なら出来るさ」という全く根拠のない、そのやる気だけが僕を支えていた。「Never Give Up」だけが支えだった。
自分を知らないことこそが僕の行動のすべてのエネルギーを生み出していたのだ。
だが、それは真のエネルギーではなかった。いつだって僕は燃料切れになった。

人との約束を守れず
人との関係はすぐに裏切る
それでも直そうと思わない
でも行動をやめようとしない
自分の非を認めずに
ただ次の行動に移っていくだけ
根拠のない「Never Give Up」
それだけが僕を新しい失敗へと駆り立てた

2年間、たくさん行動の幅を広げては、その度に人を裏切り迷惑を掛けて失敗を繰り返した。


友達は去った。去るたびに友達を変えていった。
関係を修復しようなどとは思わなかったのだ。
駄目な自分を認めるのが怖かったのだ。




僕は厳しいバイトを始めた。
居酒屋のバイトだが、そこで僕は自分を変えようと思った。
うまくいかなかった。努力はしたが認めてもらえなかった。

失敗するたびに「何でも努力します 絶対に見返します」と言った。
でも変わることが出来なかった。
口だけの奴と言われた。
それでも、なんと言われても


今日、店長は「お前 バイト辞めたほうがいいんじゃないか」と俺に言った。


努力する と言う言葉を俺から聞きたくないといった。
【俺みたいな人間は 悔しい・努力する】なんて言う資格がないといった。

憧れていた女性に言われた言葉「自分を買いかぶり過ぎない方がいい」
中学の頃友達に言われた言葉「お前が嫌われる理由って分かるよ。どんなに辛いこと言われても次の日には忘れてるんだもんな。それって全然良いことじゃないよ」



俺は今、自分の無力さと駄目さ加減を知らなくてはいけない。
そこからだ。悔しい・努力する と言って良いのは。
店長はそう言った。



俺はバイトを辞めるといった。
バイトの人間関係を修復するよりもまず、修復しなければならない人間関係が多々あった。
そこにこそ「Never Give Up」なんだ。
バイトは辞めていいのだ。俺には努力なんて出来なかったのだから。今後、あの居酒屋に対して努力をできるはずがないのだから。「俺には、居酒屋で働く努力が出来ない」のだ。それは同時に、他のどんな仕事でも駄目だろうと言うことだ。


最後まで店長は俺に冷たく、そしてその冷たさと同時に、おせっかいなほど俺の心配をしてくれた。冷淡だが、きちんとした人間そのものだった。


彼こそ、正真正銘の己を知る人間だった。
己を知るとは、ハングリーであること。
己を知るとは、足るを知ること。
己を知るとは、失敗を認めること。
己を知るとは、捨てる勇気を持つこと。


俺は店長に言った。「それでも俺は諦めませんよ」
店長は言った。「そう言ってみんな 駄目だった て後から言ってくるんだ」

そして言った「まぁいずれ大物になって飲みの来いよ」

認める。俺はいい加減で最低の人間だ。それでも、俺は次のステップに進むことを諦めない。認める。俺はいい加減で最低の人間だ。同時に、他の誰とも違う特別な人間でありたい。










最後に。

語りえないことは語るべきではない。Byヴィトゲンシュタイン
同様に、己を知るものは、出来ないことを出来るとは決して言わない。


散文(批評随筆小説等) 自分を知ること Copyright 結城 森士 2008-06-12 02:35:54
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