時の子
佳代子
風を見た朝のこと、時の子は過ぎてゆくことを拒み、羽根のある少年のように、中空を浮遊していました。誰かが風をイルカと呼んでいます。そして風に青い月の名を持つ花を贈りました。
―あのこが好きなの?
野辺の娘たちが時の子にそっと訊ねました。
―青い月とどっちが好き?
野辺の娘たちは笑いながら続けます。
時の子は黙ったまま何も答えず、しだいに体が風で満たされていくのを感じていました。海が見える。ぼくの中に海が見える。潮の香りが辺り一面に広がります。時の子はコバルトブルーに身を委ねながら、風の比翼がまあるく膨らみやがて一頭のイルカに変わっていくビジョンを見ていました。切なげに空を見上げるイルカをみて、時の子は大変なことに気づきました。ぼくはあのこの思い人には会えないんだ。あのこの恋する月には会えないんだ。過ぎていかない限り。
―ねえ、月ってどんな子?
―とても綺麗なこよ。
野辺の娘たちは口を揃え、そう答えました。
―ぼくは?
時の子は娘たちに訊いてみました。
―そうね、昨日までのあなたは懐かしい暖かさ、明日のあなたはワクワクする喜びがあるわね。でも、今日のあなたは見えないの。顔がないわ。
時の子はとても重い悲しみが海を消していくのを感じました。イルカの切なさだけを残して。切なさが飽和状態になったとき、時の子は月に逢いたいと思いました。今日の月はイルカにあげよう。でも、明日の月にぼくは逢える。時の子は初めて野辺の娘たちの言葉がわかりました。