ターヤ ☆
atsuchan69
青い髪のターヤと、今もふたり虹の入り江で暮らす
ロック歌手であった過去の名声を捨て、女となった私にとって、砂に覆われたこの素晴らしい死の世界では、レゴリス――月の砂――は敵であり、また味方でもあった。高熱で砂を焼いた白いFRCパネルとしなやかな金属硝子を交互にはさんだ、危うい外壁のカーテンウォール・・・・
容赦なくふりそそぐ太陽風から華奢な暮らしを守るのは、住居を覆うレゴリス。――即ち、それは敵であり、味方である
そうやって、どの建物も地球では貴重なヘリウム3を豊富に含んだレゴリスに覆われ、灼熱と極低温のおそるべき繰りかえしを生きつづけるかぎり耐えるほかなかったが、しかしまたレゴリスは、いとも簡単に家の内部へと侵入した。レゴリスの侵入を止めるためには、外部との境に強力なマグネットを設置して砂を磁力で集めるのがもっとも一般的な方法だった
ターヤはこの簡易な装置の磁力をひどく嫌って、窓の近くや外部との連絡路である車庫へゆくのを躊躇いがちだった。つまり会話のときも自分にとって危険そうな話題が登場すると、これらを避けるように遠回りのしかたで話題をそらしたり、別の案をもちだす等、常にリビングと外部との境界から逃げようとする習性が身についていた
地球の話をするとき、ターヤの碧緑の瞳は微かにいつも揺れた。私が、窓の外の地球を眺めるからである
ターヤの外見は美しい女性だったが、性的なごく一部分は男性だった
月での暮らしは、さほど不快ではない。わずか一ヘクタールの畑で、肥沃なレゴリスの土から収穫される野菜は私ひとりにはあり余るほどだったし、そこで週に一度、近隣の街から男友だちを招いてはホームパーティを催した。おそらく野菜は彼らにとっても喜ばしい食材のひとつだった筈だが、それにもまして、彼らが私への土産に持ち寄るのは新鮮な魚介類であり、それは非常にありがたいことだった。もちろん、私は彼らの多くとメイクラブをすることもあったが、そのせいかターヤはきまってパーティには参加しない。夜、心配になってプライベートの寝室を覗くと、ひとりベッドで膝をかかえていたりする
男たちのひとりから、自分の所有するラブドールが神経回路にまで侵入したレゴリスのせいで行為中に制御不能になった話をきいた。――たしかに、私とそれまで暮らしていたドールも、同じ原因から私に暴力をふるい、ついには私を殺そうとまでしたため廃棄処分にしている
早いもので、地球を離れて五年が経つ。月の海、虹の入江には、今日も豊かな月の資源を求めて大型船が到着する
私の友人・・・・汗と、海の匂いのする男たちは、月の地下にある「海」のフロンティアであり、テラフォーミングという分野のエキスパートだった。砂に隠された「海」には、すでに――眼のない――ザトウクジラまで泳いでいるのだという
そしてこれら外部の情報は、じつはターヤにとってはどうでも良いことだった
私たちは畑を歩き、池のまわりに咲いたタンポポと綿毛を一本づつ摘んだ。見上げると、青空と雲の見事な立体映像がドームに投影されている。真っ白な綿毛を吹き、遥々地球から運んだブナの木の下にふたり腰を下ろした。バスケットから赤いトマトをひとつ取り、ターヤがそれを黙って私に与えた。ここ数日、ろくに会話もなかった。私は、ただターヤを見つめ、そのあまりにも精巧に作られた人形の手を両手で優しくつつんだ
黒いレゴリスの土の上を逞しく、柔らかな蒼い月の芝草が覆っていた。硬直したシリコンの肌がほのかに熱く、私は衰えることのないターヤのつよい愛に昼も夜もなくこの身をまかせた