蜜柑の木 
服部 剛

老人ホームで 
19年間すごした
Eさんが天に召された  

すべての管を抜いて 
白いベールを被る
安らかな寝顔の傍らで 
両手を合わせた日 

帰り道に寄ったマクドナルドで 
僕が9年前に就職した頃 
大きい窓辺で日向ぼっこしていた 
車椅子のEさんを思い出す 

右も左もわからぬあの日の僕が 
初めて言葉を交わしたEさん 

皆と同じように働けず 
流れから取り残されていた時も 
「ありがとう」と声をかけ  
いつも栄養ドリンクを渡してくれた

周囲の先輩が皆大きく見えて 
縮こまったまま休憩時間にひとり 
外のベンチに腰かけていた 
あの日の僕が 
なんとかめげずに腰を上げ 
職場に向かって歩いてこられたのも 

不器用な僕の手を 
必要としてくれる 
あなたがいたから 

早めに仕事を終えた日に 
車椅子を押して外に出た芝生の庭で
一緒に眺めた夕焼けを 
忘れることはありません 

時は流れ 
10年目になる僕の周囲から 
たくさんのお年寄りが 
空の何処かへ消え 

いつのまにか
満員になってきた 
空の応援席から微かに聞こえる 
風の声援を背に受けて 
これからの日々を歩いていきます 

まだ若かった頃に夫を亡くし 
女手ひとつで二人の子供を育てた 
Eさんの人生の最終章 

娘さんと息子さんは 
毎日朝から晩まで 
ベッドの傍に
寄り添っていました 

仕事帰りのお孫さんが駆けつけて 
「おばあちゃん」と呼びかけた時 
下がっていた心電図の直線が
上がりました 

白いベールを被る
安らかな寝顔の傍らで 
両手を合わせた後 

病室を出た僕は 
食堂の窓外を眺める

Eさんが小さい種から 
時間をかけて育てた 
大きな蜜柑の木 

緑の葉を春雨に濡らし 
いつまでも変わらぬ姿で 
今日も独り立っています 








自由詩 蜜柑の木  Copyright 服部 剛 2008-04-10 10:19:26
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