春の近い夏に通う①
吉岡ペペロ

 この坂道をくだるといつも、だっくだっくと体がバラバラになりそうになるのを骨だけが繋ぎとめているような気がして、吉梨三郎は不快なリズムを味わうのだった。
 それならバスを使えばいいのだが、三郎はそうしなかった。

  おーい、

 坂をあがってきたおなじゼミの茶本春子の声だった。
 駅までの坂道はふとくてぐねぐねとしている。そのぐねぐねとした象徴のようなところで、ふたりは歩をゆるめた。

 どこいくん、バイトか、

 おまえはいまから大学なんか、

 そうや、がんばりなあ、

 春子がまた坂道をあがっていった。
 うえからバスのうなりがしてくる。身をかたくしてそれをやりすごし三郎は、排気ガスの残り香のなかをおりてゆく。そういえば、

 そういや、あいつもバス使わへんのやなあ、


 いちおうバーテンと呼ばれている三郎のバイトは、入学早々の四月からだから、はじめてもう二週間になる。
 水曜が休みで、毎日夕方から入って下宿に戻るのは夜中の二時ごろだった。帰りはたいていべろべろに酔っ払ったマスターの加藤さんに送ってもらう。
 三郎がまず下宿のまえで降ろされ、お客さんふたりを乗っけた車に、

 ありがとうございました、おやすみなさい、

 三郎がウィンドウをのぞくようにしてお辞儀をすると、なかから梅ちゃんと香澄さんが手を振る。


 もう坂道も終わりかけのところで、三郎は足をとめた。三郎はそこでいつも、N市の夕日を見つめるのだった。
 たしかに、夕日が美しいような気がした。
 テレビで言っていたのだ。
 このまえ爆発したフィリピンかどこかの火山の撒き散らした塵で、日本じゅうの夕焼けが、最近、オーロラみたいに美しく見えるらしいのだ。

 ほんまにきれいやなあ、

 三郎がバスを使わず駅までの坂道をだっくだっくと不快なリズムを味わいながらおりてゆくのには、二つの理由があった。
 ひとつは、この時間帯、茶本春子と坂の途中で出くわせること。もうひとつは、N市の夕日をゆっくりと見つめれること。

 煙草を吸いながら夕日を見つめていた三郎は、いつものように、ひとことつぶやいた。

 三郎は、煙草を捨てた。そしてはっとした。
 三郎の吸い殻のすぐよこに、もう一本新鮮な吸い殻が落ちていた。
 そのコントラストで、二本の吸い殻が、骨片に見えたのだった。

 骨ちゃうよな、

 三郎は、吸い殻に顔を近づけた。もう一本の吸い殻には、うすく口紅がついていた。

 三郎はさっきのつぶやきを、もう一度くりかえした。

 骸骨が、坂道をくだる、

 そして、二本の骨片を見つめて、

 骨がなかったら、肉なんてバラバラや、

 そうひとりごちて、また歩きはじめた。


散文(批評随筆小説等) 春の近い夏に通う① Copyright 吉岡ペペロ 2008-03-15 10:43:53
notebook Home 戻る  過去 未来