鷺草のよう         
天野茂典

        
    
     


 ぼくには子供がいない
 そのことは太陽のようなことなのだ
 ぼくには子供がいない
 そのことは月のようなことなのだ
 ぼくは一個のDNAだ
 ただそれだけだ
 ぼくは宇宙から買われてきた花のようなものである
 とうとい水をいただいて生きている
 すばる光学赤外線天文台に映る遠いひとつの星なのだ
 たんなる野辺山天文台に映る電磁波の分子なのだ
  父は泣いた
  酒を飲むたびにとうとい涙をおしげもなしに
  子供たちの前で ながしつづけた
  ぼくたちが小学生から 中学生にかけて
  酒を飲んでは自分の過去を 呪って泣いた
  どれだけ自分が 不幸な十字架をせおっているかを
  語るのだった 父は私生児で
  幼い頃に もらい子になった
  小学生になると 学力抜群で
  優等賞を何度ももらった 全甲で学年トップだった
  話がうまくて 女子組みにまでかいだされ
  かなりうけていたらしい 素行だけが乙だった年もある
  養父先はクズ鉄商だった 養父は父が5年生のときに
  後妻をもらった 弟ができた
  父は継母に阻害された 父の担任坂本団三先生は
  新しい家族に 父の中学進学をつよくもちかけた
  拒否されたのはいうまでもない
  父の呪われた人生はここから はじまったのだ
  石をなげろ あの家族のあたたかい団欒の窓に
  八王子行きの電車の明るい窓を見ては 家郷のことをおもった
  父は横浜紅葉坂の おかめ寿司に奉公にだされていたのだ
  小学校は 卒業していなかった
  父はハンサムだった 凛々しかった
  父は後に 亜細亜音楽団にはいってトランペットを吹くが
  なぜか父のブロマイドは テナーサックスなのである
  もちろんサイン入りである 父は役者になりたかったのだそうである
 ぼくとぼくの弟には子供がいない 弟にはすばらしい嫁さんはいるが
 影響の少なかった妹だけに 子供がいる
 ぼくはおもった おさないこころで
 父のふかいかなしみ おもんぱかりながら
 こんなかわいそうな子をつくるのは なんと罪つくりなことだろうと
 酒に酔っては 毎日のように泣き崩れる父をみるのは
 たまらなかった
 父は無意識だったとおもうが このトラウマは
 サボテンの棘のようにささってぬけない
 ぼくには子供がいない
 愛をしらない 世界で回る高速回転の独楽のように孤立している
 ぼくには子供がいない 世界があまりにもやさしいのでノアの箱舟に
 乗ってしまったのだ だが後悔しない
 それはぼくが選びとったマラソンランナーの孤独なのだから
 ぼくは一個のDNAだ
 ただそれだけだ 遺伝子組み換えはしないのである
 ぼくはぼくだ 公式は単純なほうがいい
 女よ ぼくはあなたの切なる友人である誓って 


 2004・6・28












自由詩 鷺草のよう          Copyright 天野茂典 2004-06-30 14:18:36
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