摩周湖
池中茉莉花

その日
あきらめきれない ふたりは

しびれをきらした 家族たちから 
置いてきぼりにされて
先のみえない白い世界に
佇んでいた

握りしめたじいちゃんの
手から伝わる熱だけが
ただひとつの光だった

深い 深い 霧と
気の遠くなるよな 静寂が
わたしを包み込んでいた

ふたりには 確信があった
必ず 霧は晴れると

       思えば 似たもの同士だったのね
       じいちゃんと わたしは

       こめかみの 同じところに 青筋が 浮き出てる
       これが いつも 悪さをするんだ

       「愛しているよ」と言おうとして
       相手の顔を見たとたん
       心から ナイフが飛び出てしまう

       毎朝、目覚めると「今日こそは」と思っていたんだよね
       だから じいちゃんは、起きてすぐ 掃除機を回していたんだね
       わたしと ばあちゃんが お布団で 九九を歌っているのを聴きながら

       一日笑って過ごそう 
       そうだ、今日は正月についた餅の残りでかき餅でも揚げてやろうか
       いつもごめんな なんて いわなくてもいいんだ
       ただ 普通にしていればいい

       そう 思っていたはずなのに

       わたしにも そんな季節があった
       今日はいわない 絶対 いわない 
       地下鉄に揺られながら つぶやきつづけるのに
       学校について 彼の顔をみたとたん
       「もう、別れよう」なんて

       自分の心が 分からなくなってしまう


       ふたりとも霧の中で生きていたんだ


腕のうぶ毛に こまかな水の粒が吸いつき
素肌にしみこんでゆく
体じゅうに震えが走る
じわじわと 疲れがまし
背骨がぐらつく

同時に足を 後ろに引いた
その瞬間

目の前の 真っ白な幕が
まん中から すうっと わかれた

眩しすぎて思わず瞑った目を おそるおそる開けると
そこには
みどりの摩周

かぎりなく かぎりなく
透きとおった水が
鏡のごとく
陽の光を反射して
わたしたちを 照らした

それは 一瞬の出来事で
ふたりが顔をみ合わせたとたん
また深い霧につつまれてしまったのだけれど 

(あの摩周をみた娘はお嫁にゆけなくなるのだと
 真剣に悩んだっけ・・・)


     じいちゃんの心の霧は
     最期の季節に晴れたのでしょう
    
     ある日の見舞いのとき
     あなたの口から
     後悔の念が 堰を切ったように 
     溢れだしたのだ と 
     伝えてくれた人がいました
     


わたしの霧も いつかは晴れるのでしょか

あの摩周を
もう一度 みられる日を
心静かに待ちながら
あなたがいなくなった この世界で
生きつづけているのです


自由詩 摩周湖 Copyright 池中茉莉花 2008-01-08 16:12:39
notebook Home 戻る