たった一つの答えを出さなければなるまいて
結城 森士

動物には偽善が無いというけど、それは彼らが本能のままに行動するからだ。
もし頭で考えて決断に迷い、真実を探してそれでも何かを決断するという時があれば、それはどのような選択をしようとも偽善と呼ばれる可能性が多く含まれている。

などと妙に小難しい事をチマチマ考えることはもう止めようと思う。
今までは、物事に対する答えとは無数にあるもので、真理など誰にも見つけられやしないと思って生きてきた。そんな風に思っていたものだから、何かを信じて行動することも、何かを貫くために戦うことも許されなかった。生きる事を肯定できず、死ぬことすらできず惨めに生きながらえてきた過ぎ去りし日々…うおぉおおん(号泣)。何も肯定するものが無いのだから、生きる活力はほとんど無かった。まるで生ゴミのような人間だった、うぉおおん(-_-)←顔文字。
だけど、この歳になり等身大の自分をよく見つめなおすと、どうも生きたいと思う欲求がかなり強いらしい。食欲もあるし女の子と話すと楽しい。友達から頼りにされたいと思うし、もっと目立ちたいとも思う。そうか俺は元々とってもアクティブな単細胞なのかもしれん、そういえば頭の回転も並だしあまり知的とは言えんな!!と気づいたのがおよそ一週間前。
いやー今では男の中の男を目指して、日々戦っています。
というのも、変わるべくして変わったのです!僕の考え方は!!!(わずか一週間前に!!!!!!!!)

そう、答えは無数にあるもんじゃない。答えは一つしかないのだ。
何故なら、…地球上に存在する人間の数こそ60億を超えるが、俺という人間は一人しかしないからだ!!!!!!!ふぁーっはっはっはっはっは
…っは。失敬失敬、かの有名な哲学者デカルトの発した言葉を思い出して貰いたし。

「私は燃えるゴミである」―――ルネ・デカルト―――

…あいやこれは違う、失敬失敬。

「我思う故に我在り」―――ルネ・デカルト―――

これは己の自我だけは否定できないのだという意味らしいのだが、まさにこれが僕が長年答えを出せずにいた問題への唯一の答えであった。
その問題とは「物事に真理はあるのか否か」であり、僕はずっと物事に真理は無いと考えてきた。しかしこれはパラドックスで、真理というものがない以上、真理がないということすら言い切れなかったのであった。これこそがデカルトの悪魔といわれるジレンマだったのであったッ。しかし、しかし、ぬおおおお(-_-)
デカルトの唱えた「自我だけは否定できない」という発想からヒントを得た僕は、「真実は無数に存在するが、唯一肯定できるのは自分の中の真実だけである」と展開し、「それでも答えは一つである」という結論を出すに至った。偉い、なんだかとっても偉い。馬鹿って偉大だなぁ…。

そう。答えは一つ。THE ONLY ONE。頑張れヤムチャ、お前が?1にならなくてもいい、元々特別なOnly1。そんな感じ。
予期せず話が逸れたが、たとえ他の人が別の真理を突き詰めてこようと自分にとって真理は一つしか存在しないのだ。自分という人間の歴史が一つしかないように、自分にとって真実は一つで十分。そりゃもちろん、真実が移り変わることもあるだろうさ。

ブルマがヤムチャを捨ててベジータを取ったようにな!

だけど、それでも真実は一つ(ベジータ)。元々特別なヤムチャではなかったというわけだ。
うむ。予期せず話が逸れた。まぁそんな訳で僕はようやく結論を出しました。
自分の信じるモノを胸にこの厳しい社会を戦っていこうと思います。
動物達は真実が一つしかないという事を知っているのだ!

長い間、お疲れ様でした!







世の中は矛盾に満ちている。
そんな中で、答えを出すことが出来ないくらい悩むことは大切だと思う。
それはその分、いろんな立場の人の気持ちを想像し考えることだから。
だけどだからと言って、物事に対する答えを出せなくなってしまうことは、それは負け犬と言って差し支えないと思う。矛盾を矛盾のまま放置して負け犬に甘んじられるのは甘える場所があるからに他ならない(太宰、モリッシー然り)。
生きていく以上、答えを割り出し、真実を見据えなくてはならない。

人生は戦いで、戦おうとしない人は負け犬。
けれど、敵は周りの人々じゃない。敵は己の中に在り。
敵は自分だ。僕はもう自分と戦うことから逃げたくない。

自分との戦いに憎悪や怒りは無い。
あるのは希望だ。
生きることは自分との戦いだ。
生きることは希望だ。



散文(批評随筆小説等) たった一つの答えを出さなければなるまいて Copyright 結城 森士 2007-12-17 04:30:32
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