わたしの好きなもの
k o u j i * i k e n a g a

 邪魔な段ボールがあって、もちろんよそ様のものなのだけれど、邪魔である事は腹立たしく、息を吸ってから蹴飛ばした。ハズレの段ボールだったらしく、中には何か重金属の固まりが詰まっていて、爪が割れた。骨も折れているかもしれない。痛みというよりも、つま先がづんづんと膨らんでいくような感覚が先行している。仕事帰りの私は自分が何歳なのか一瞬忘れて、少年のころを思い出す。悪がき仲間が、缶蹴りの缶を、鉛詰めのとんでもないものとこっそり交換していたことがあった。しかしそれを蹴ったのは自分だったろうか、他の友だちだっただろうか。はっきりとは蘇らない記憶のもどかしさはうまく例えられない。それはとても難しいと思うのだが。
 足の膨張感はじわじわと痛みに変わってくる。あるいはこうも言える。痛みが「思い出してほしい」と首をもたげてきた。痛み、と言うとなんだか格好をつけているような照れ臭さはないですか?私はあります。キャラメルをなめたりして気を紛らわせるといいかもしれない、痛みをしばし忘れられるという意味で。と私はポケットに偶然にもキャラメルが入っていることを期待して、しかもそれは叶わない。都合よくいくことなど、今まで何一つなかった。そういうものが人生だ、というような流行歌があったことを思い出し、口ずさむ。合間には口笛など吹きつつ一曲やる。通行人というかまわりの人たち、もちろん他人だが、彼らの視線を感じる。すごく。
 傍目から見て自分がどう見えているかはとても気になる。髪に櫛を通したくなる。思い切り伊達にきめたい。そういえば愉快な話をひとつ思い出せた、歌舞伎とはもともと傾きと書いたのだと甥っ子が言っていた。生意気だがびっくりするほど可愛くて賢い男の子だ。傾き、いいではないか、まさに私のような人間に相応しい。
 思えば傾いて生きてきた。傾き通しの人生だった。素晴らしき哉、我が人生、とまではいかないが、しかしそれなりに素敵で、ときどきとびきり素晴らしいものであるとは思う。そんな時はどんな時かと言うと、たとえばこういった具合だ。朝方まで続いた仕事がやっと終わり、帰路で聞こえてくる中学校の吹奏楽の音楽。一度などその明るく朗らかな音色に誘われて、校内に侵入し通報など一連の儀式を受けたこともある。何か世間がピリピリしていた時期だったかと思われる。まったく呑気なもので、屈強な(ジャージを着ていたのでおそらく)体育教師連中に取り押さえられながらも音楽を楽しんでいた。あの曲はたしか、「わたしの好きなもの」という曲ではなかったか。


自由詩 わたしの好きなもの Copyright k o u j i * i k e n a g a 2007-12-11 03:04:13
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