イェス=キリスト、山手線に乗る
草野春心
けさ乗車率120パーセントの山手線に乗ってたら
五反田か目黒の辺りだったかな
必死の形相でイェス=キリストが
閉じかけの扉に体をねじ込んで
ぼくの隣の吊革につかまったっけ
あんまり疲れた顔してたから初めは
彼がイェス=キリストだなんて思わなかった
茶色い髪はワックスで整えられていたし
スーツもネクタイも革靴も高価そうだった
でも他の乗客はみんな自分の事にかまけていて
彼には目もくれなかった
ぼくにしたってただその疲れっぷりに見入っただけで
イェス=キリスト的何かがぼくを惹きつけたんじゃない
――とにかく彼はすごく疲れてた
ぼくはキリスト教のことなんて殆んど無知だから
彼の死後 彼の思想がどう伝わって
そしてどんなふうに変化していったのかを
教えてあげたくても出来なかった
仕方なく天気や政治や経済やラーメン屋の話をした
彼は自分の勤め先の不調と
そこの禿げ頭の社長の傲慢を教えてくれた
イェス=キリストは会社のある渋谷で降りた
ぼくも乗換えがあったから一緒に降りた
仕事に出かける彼の背中は
誠実で正直でどこか物足りなさそうだった
ぼくは彼に会ったことを恋人にしか話さなかった