明け方の空に
白鳥座は見えないのですが
九月なら9時ごろ
天頂に見えます
あるとき あの人は
白鳥に呑まれた魚だった
その十字架にぶらさがったときも
彼を支配したのは
怒りでも絶望でもなかった
その秘蹟の根底にあったのは
底知れぬ叡智でも
山を動かすような力でも
火に身を投じるような
献身や勇気でさえなかった
右の頬を打たれたら
左の頬を差し出せと
汝の敵を愛せと
言い切る宗教が
その愛の神の名において
流血を繰り返し
一つの民族を抹殺するほどの
虐殺さえ支えてしまうとき
その狂信の根底にあったのは
いったい何なのか
希望や信仰よりも
愛こそが至高と
言い切る宗教が
などと
デニーロが主演した
「ミッション」などを見ると
つい考え込んでしまうのです
たとえば
インダスの時代
とある海辺で
星空を見上げていた
少年がいました
彼は生涯その神の名を
知りませんでしたが
神はいつも彼とともにあり
微笑によって包んでいたと
私もまた
神の名を知りませんが
信ずるとしたら
そのような神に
ほかなりません
(07年秋、「朝の少女」と「星の少年」のために)