両刀論法の彼方に
榊 慧
一つ一つ、弱くなっていく自分を意識した。
一つ一つ、見失っていく自分を理解した。
総てを薙ぎ払い、総てを捨てて、自分は戦場に立たねばならないのに、
自分は彼の残像を背負いそこに立つ。
これでは、初めから負けているようなものだ。
自分は、勝たねばならない。
オクシモロン・エラト。
両刀論法の彼方に。
最近好んで出入りしている図書館で、
雲を掴むような理想ばかりを書き連ねた書物を読んでみたり。
そのあまりにも非現実な在り方に憮然とした。
その癖、その在り方に自分は同調している。
机上の論理に傾倒している自分を情けなく感じた。
所詮、机上の論理は机上の論理に過ぎないし、感情論になど流される気など毛頭無い。
真意を問われた時ほど人間焦燥を覚えるものである。
そう言ったのは誰だったか。
抑制の効かない感情。
自分は戦場に行かねばならないのに、
そうであるはずなのに、この腑抜けた感情が自分を占める。
自分の色々なところに、綻びが出来始めている。
だが、そんな弱い己を認める訳にはいかなかった。
自分は、強くありたかった。
弱くなるのなら、脆くなるのならばいっそ、総てを失いたかった。
否定するからこそ、その言葉の真意に嵌る。人間というのはそういうパラドックスドールなのだ。
「両価性などという考えは、全くふざけた考えだ。俺に迷いなどない。」
そう言い切れる豪胆な奴には、僕は敬意を表しよう。
撥ね退ける力が無ければ自分はやがては敗北者となるのだろう。
少年は自分を暫し眇める様に観察してから、ふいと視線を外してしまった。
多少の哀れみと多大な揶揄をこめる。
自分は、その扉を見つめながら、その向こう側には行くことなど出来ない。
これは、戒めだ。
自分は、決して弱くなってはならないのだ。
矜持が、許さない。
あの少年は、何の矜持だと笑うだろうが。
守りたいものが、或る。
屈辱にも似た歯痒さに己を嫌悪した。
常に孤高にあれ、常に強靭であれ、常に、高みを見上げよ。
そう思い、そう生きてきたはずの自分のこの様は何だ。
言われなくとも理解していた。
高みを目指さねばならない。
守らなければならないものが或る。
それは、一時の感情で見失うべきことではないはずだ。
「戦わねばならない」
己、将来、全てのものと。
足元から崩れるような感覚を意識した。
すぐ傍まで近付いていた闇をはっきりと理解したような頭痛に似たような妙な痛み。
屈辱をはっきりと感じた。
情けなさと空虚で、いっそ殺して欲しかった。
自分には、守らなければならないものがある。
欲しい高みがある。
甘さが自分を崩すと、理解しているのにも関わらず。
矛盾が、自分を甘く食む、その痛み。
両価性によって人は、生きている。
そのジレンマの名は、
オクシモロン・エラト。
両刀論法の彼方に。
自由詩
両刀論法の彼方に
Copyright
榊 慧
2007-09-16 08:10:45