「 当世触場事情、其の一。 」
PULL.







 この触場に来て、今日で三ヶ月になる。あたしにとっては二つめの派遣先だ。前の派遣先では何かと上手くいかなかったので、ここに来られて、本当に嬉しい。
 触場へは自転車で通っている。
 バスで七駅の距離なので、バスで通勤してもいいのだが…ラッシュの中で知らない誰かの触手と擦れ合うあの空間に、どうしても慣れることが出来なかった。
「あんたのは特別敏感だからねー。ひょっとしてさ、感じてるんじゃないの?。」
 マイカー通勤のユリさんはそう言って、あたしをからかう。
 ユリさんは触場の先輩だ。あたしとは違う派遣先から来ていて、今月で四年目になる。「オツボネ」と言うにはまだ「ツボ」に入りきっていないとユリさんは言うのだが、その姿はもうすっかり「ツボ」に入りきっていて、同期の正触員などよりもずっと、貫禄がある。ユリさんはここの派遣のまとめ役のような存在だ。
 だからというのでもないのだろうが、ユリさんには、触場に慣れなかった頃から色々と話しかけてもらったり、飲みに連れて行ってもらったりした。
 あたしはユリさんが好きだ。ユリさんがいなかったらあたしはまた、前の派遣先みたいにひとりで、孤立していたかもしれない。飲みに行くと最後にはべろべろに酔っぱらって、過去の悲しい失恋話でくだを巻くのが「タマニキズ」だけど…あたしはそんなユリさんが大好きだ!。
 でも、ユリさんにも言ってないことがある。
 あたしが自転車で通うのには、実は、もう一つ理由がある。
 気持ちがいいのだ。

 触場へと続く川縁の道を、自転車に乗って駈け抜ける。下の触手で力いっぱいペダルを漕ぐと、朝のやわらかい風がごうごうと音を立てて、触手の間を吹き抜けてゆく。ハンドルから触手を離し、大きく広げて、風を感じる。そうしているとすごく気持ちが良くって、あたしは何だかとっても「最強」な気分になる。今日、これから何があったって、この風みたいにやわらかく、絡まないで、あたしは最後まで「最強」で、どこまでも駈け抜けられるんだ!。
 そんな気分に、なれる。
 それは、たったバスで七駅のちっぽけな「最強」だけど、あたしの「最強」の宝物の時間だ。
 
 「最強」を抜けると、触場に着く。
 触場にはいつものように、マキナが先に来ている。












           続く。



散文(批評随筆小説等) 「 当世触場事情、其の一。 」 Copyright PULL. 2007-09-10 07:28:11
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