望みが薄い
黒川排除 (oldsoup)

 夢を見た。犬がわんと吠えるまで見た。わたしは当時の格好で、先生は偉かった。偉い先生が偉い表情で偉い仕草で偉い鼻息で見下しながら、お前は望みが薄いから去れ、下山しろと言ってきた。当然意味が分からないから、敬語のつもりで、何がだ、このハゲと言い返す。そこでもう一度下山しろと言われた。我々は標高の高い山の八合目付近にいた。装備ももたずに、普段着のままで、いた。わたしは不意に呼吸が苦しくなるのを感じた。それを目の当たりにした先生はにやにや笑いを浮かべていた。望みが薄いからだよと言ってきた。わたしは呼吸を閉じながら、空気が薄いからですよと表明した。だがそれでも先生は笑っていた。わたしの汚点や汚点のようなものを書き連ねた書類の束を小脇に抱えながら、ただ笑っていた。そしてもう一度去れと言う。きっとじぶんの頭頂部のことを気にして、しかも永遠の冬が訪れるであろうことを予測して、そんなことを言っているのだろうと哀れんだ。わたしは何もかもを許す気になった。もう一度言ってみろと言ったら、もう一度言いそうだったので殴り飛ばした。

 きっと下山するだろう。蔓草が異常に伸びた沼地があって、平面に切り開かれた牛乳パックが腐敗しているだろう。少女がいて、燃える家を見つめていて、泣いていて、袋をかぶっていて、見えないだろう。またその袋の目の部分に穴を開けてあげようとするだろう。母さんが夜なべをして手袋を編んでいるだろう。きっと崖から転落するだろう。また崖から連絡もするだろう。いつも寝癖でぐちゃぐちゃな髪の毛がストレートヘアーになるのを見て驚くだろう。針も無いのにレコード盤が高速回転しているだろう。右から左へ移動するのに、およそ三年かかる通路が建設途中であるだろう。背の丈もあるほどの草原の中で、ネコジャラシが勝手にじゃれているだろう。たとえ下山したとしても、中途であたらしい登山道を見つけ、かつ見つめ、かつ魅了され、しばらくぼんやりするだろう。

 仮にその中が夢だと気付けたとして、急いで覚めるよう脳に命令を出し、官僚的緩慢さでそれが伝達を始め、終了し、まぶたをゆっくりと開いたとする、開いたとしても、ダブルサイズのベッドにたった一人で置き去りにされていて、鏡には口紅でグッバイと書かれているのだが、残された上着からは確かに隣に住んでいる婆さんの臭いがするので、さして残念という訳でもないにしろ、少しだけ開いたカーテンの隙間からは、長く鳴らされたクラクションとともに去っていく霊柩車が見えて、前の日に買わされた得体の知れない壷に遺骨を詰めなければならないとは思うだろう。

 さっきまでは河川敷に座って煙草を吸っていた。今は立ち上がり、河川敷を背に、川を眺めながらキャンディーを舐めている。横に座っている小学生男子と交換したのだ。少年は悪い遊びを手に入れ、わたしは少年の唾液を手に入れる。背後からはむせ返る声が聞こえてくる。わたしは子供のように笑う。だが振り返ると、そこにはあのにやにや笑いが葉巻を吹かしている。すでにキャンディーは溶けてなくなってしまっている、完全に吸収されている、溶けてなくなってしまっているから。わたしは強烈にコンクリートをかじる。もし許されるのであれば、もちろん許されるであろうが、この後立ち上がり、永遠の冬と冬の静寂をわたしの敬愛するはずだった先生に、あ、た、え、る、だ、ろ。う。わたしはいつでも未来に立ち戻ることが出来る。わたしは常に薄く、望みは常にわたしである。望まれざるわたしが常にここに在る。


自由詩 望みが薄い Copyright 黒川排除 (oldsoup) 2004-05-28 01:12:46
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