ディズニーとマクドナルドと劇団四季に命を狙われる男
カンチェルスキス



 


 いい天気だった。これほど天気がよければ、女の乳首も見えそうだった。見えなかった。おれは駅前のロータリーのベンチで、バスを待っていた。
 隣に座ってる男の乳首は見えてしまった。
 バスが来た。おれは乗った。バスに乗るのはひさしぶりのことだった。
 動きだした。
 駅前を抜け、国道に入る。
 渋滞で少し停まった。
 車内アナウンスが流れた。
 お急ぎのところ恐れ入ります。ただ今、交通渋滞によりバスの到着時刻が遅れております。乗客の皆様にはたいへんご迷惑をおかけしております。
 バスはすぐに動きだし、幹線道路に入った。
 運転手が立ち上がって、後ろまで歩いてきた。他には誰もいなかった。
 バスは走っていた。
 おれの前の座席まできた。おれのほうを向き、両肘を座席の背にもたれかけさせ、膝をのっけて座った。制帽をつばを後ろにしてかぶってた。後ろ髪を伸ばしていた。細面の香港のチンピラみたいな男だった。
「バス、運転しなくていいのか?」
 おれは言った。
「ああ、いいんだよ、あんなもん。毎日同じこと繰り返してんだ。あれのほうでも、あれって言うのは、もちろん、バスのことなんだけどさ、いい加減、体で覚えてるだろ、勝手に走っていくもんさ。スポーツ選手がファインプレイの後で『体が勝手に動いた』ってよく言うだろ。日々の鍛錬による潜在意識の反応ってやつさ。あれと同じだ」
「ということは、バスにとっては、今はファインプレイの最中ってことになるな。もちろん、おれたちにとっても」
「そうだよ。その通りだよ。あんたひょっとしてマフダスおじさん?相当イカしてない?ここらへんじゃ見かけない顔だが」
「どっちかと言うと、おれはディズニーとマクドナルドと劇団四季に命を狙われがちな男だけどな」
「まあ、本当のことを言うとさ、もしかするとオレがいないほうがバスは気分よく走れるんじゃないかと思ったりしてね。ほら、今だって、法定速度完璧にこえて,ポルシェとスカイラインぶっちぎったし、赤信号無視して自転車の老人轢き殺したのはちょっとやり過ぎかなと思うけど、それがバスの本来の野性なんだよ。ところが、いつものオレはそれを抑えてばっかいるわけ。抑えてさ、しみったれた、本当だぜ、しみったれた何の面白味もない、生きてるのか死んでるのかわからんようなやつ、ま、そいつは生きてたりするんだけどさ、そんなやつらを乗っけて、しょうもない金をもらって、渋滞したら車内放送鳴らしてさ、ほんの少し遅れそうになっただけで、それだ、停まっちゃ進み、停まっちゃ進んでさ、また折り返してさ、停まっちゃ進み、停まっちゃ進んでさ。バカみたいだぜ。いつもオレは思ってるよ。心苦しいよ。バスに申し訳ないよ。本当は乗客なてんどうでもいいんだ。バスはバスのためにあるんだからさ。でもさ、最終的には、バスなんてオレにとってはどうでもいいんだよ。オレが今やるべきなのは、今すぐバスから下りて、馴染みでもない床屋の椅子に座って、『耳はちんと出しといてくれよ!いいや、前髪はどうでもいんだよ!耳は出しといてくれ、耳は!』って店のオヤジに言うことだけなんだ」
 バスは市役所前の交差点を右折していた。やつにとって馴染みでもない床屋『スイカがなくても俺はちゃんと五十一歳になれる』が見えてきた。
 おれは何も言わず窓を全開にした。友が困ってるときはたぶん、助けてやるものだ。
「行くんだろ?」
 おれは言った。
 運転手はおれの顔をじっと見た。
「オレのことを察して‥‥‥こんなふうに誰かに自分のことを察してもらったことなんて、オレ‥‥‥今までなかったよ、あんたのこと、一生忘れないよ!」
 運転手は言って、窓枠に足をかけたかと思うと、その姿はすぐに見えなくなってしまった。
 アスファルトで何回か転ぶと,最終的にはバレーの必死の回転レシーブを決めた後のポーズのまま、しばらくうっとりしていた。
 姿が遠くなる。運転手がおれに向かって叫んだ。
「ごおつくばって、ホイホイ!」
 おれも叫び返した。
 バカみたいだった。しかし、友情などというものは、常にバカそのものなのだ。真の友情がこれで成立した。ような気がした。もちろん、おれがあの運転手に会うことは二度とないが。というのも、このバス、一度引き返して、あの運転手を轢き殺したんだから。
 バスはスピードを落とさず、どんどん加速していった。このバスにとって地球は狭すぎた。横断歩道でベビーカーの赤ン坊をはねた。女をはねた。自由をはねた。八時間労働をはねた。いるとしたら、神もはねた。はねるものがなくなった。
 バスはどんどん進んだ。暗闇に包まれた。おれは座ってるだけだった。どこに停まろうが、停まらないことがあったにしても、おれには何の問題もなかった。








散文(批評随筆小説等) ディズニーとマクドナルドと劇団四季に命を狙われる男 Copyright カンチェルスキス 2004-05-27 15:21:55
notebook Home 戻る  過去 未来