一人100人斬り(7月24日分)
ワタナベ

やってきました、インチキ侍。
レコ・ポエにおいてのみならず、すべてのスレッドにおいて、連投するとスレがあがらないという事実に気づいたインチキ侍は、なんとかお気に入りの詩をおしつけよ(ry
と思い、そうだ、これで100人斬りをすればいいんだ!と思った次第。
われおもふゆえにわれありコギトエルゴスム、エロイムエッサイムエロイム・・・・
いざ! 参る!
Tsu-Yoさん 偽者ロケット
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=127579

拙者はいまでもマンフレッド・マンでイケるでござる、少々紹介しておきませう。

マンフレッド・マン(ジャズ、ブルースミュージシャン)ジャジーテイストあふれるR&B
といったところですか。60年代のブリティッシュビートの先駆者、ござる口調がこれほど似合わない人物もいないだろう、でござる。

ジョン・アーヴィング:'68年 「熊を放つ」で作家デビュー、小説家

月刊ムー:オカルト雑誌、拙者は「ぼくの地球をまもって」という拙者の青春のバイブル
     である漫画にて知ったでござる。

と前置きして。
拙者には、この詩が妙にスタイリッシュに見えた、それはマンフレッド・マンだったり
ジョン・アーヴィングだったりのカタカナの単語がもたらすものであろうし、また、
彼らがどのような活動をしていたかを知っているとさらにスタイリッシュに感じる。
スタイリッシュと言っても、詩としてのスタイリッシュさではなく、青臭い下世話な
スタイリッシュさではあるけれどもそれが拙者には心地がよかったのでござる。
月刊ムーの編集室が良い按配で爆破されるところなど、爽快なり。
分かるとは、不感症になることに似ている、だが俺たちの前には、以前よりもさらに
広大な宇宙が広がっている、マンフレッド・マンではイケなくなったかもしれないけれど
マーカス・ミラーやアキンボなどがまた新しく偽者そっくりの本物で俺たちを酔わせてくれる。
その気になればジャンゴでもイケるから、感じやすいの。月までイこうぜ。

広瀬犬山猫さん ベタ。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=127587

すごく好きな詩でござった、ということを最初に伝えておかなければならない。
永遠にも思える19歳。20になるということは話者にとっては特別な意味があるのだろう。わずか300ミリリットルの中で戦う赤と青の二匹の麗しい金魚の描写も美しく、
そしてそれは
>何度も何度も殺し合い再生され殺し合い

>金魚の命がひとつ消えるかのように
>あたしは二十歳を迎えたのだけれど
>金魚が再生されるのと同じように

>来年もあたしは十九歳で

話者は未来永劫、「わずか300ミリリットルの世界」でひたすらに十九歳なのです。

でも最終連において

>そして決闘させる。
>コップの外で
>ちゃんと決闘させる。

とある、これは話者の十九歳への決別でもあり、またもっとつっこむと、これから
生きていく、歳を重ねてゆくことへの決意でもあるように思えた。
語り口調は

>そんなノリで
>かわいい。

だとか軽妙なのに対して、そこからの飛躍がとても心地がよかった。
さらに言うならば金魚と闘魚との認識の違いは読む人が読めばもっと面白いとおもふ。

高崎さん 樹
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=127648

これは、表現がうまいなぁ、と思ったのでござる。
一本の幹から派生していってやがて複雑に「別々のもの」になる。
>物事の表面積は増え
>いろいろなことが
>そのうちはっきりしなくなっていきました
>声は
>いつしか複雑に反響するようになり
>なかなかうまく きみのもとへ届きません

まぁあげていけばきりがないのだけれども、「わたし」「あなた」「せかい」という
三種の神器を描いた作品が多い中で、ひとつ目を引く作品でありました。
ひとつだけ指摘するならば、三、五、六連目と最終連が、
希望という意味性の上でかぶってるかなぁというところです。
「声がいつか届く」ことに希望を見出しているのか、あるいは
「枝分かれしたものがやがていびつな形であってもひとつになる」ことに希望を見出しているのか
これは多分両方なのだろうけれど、そうだとしたら、構成をもう少し変えてみると
より洗練されるかなぁという感想を抱きました。
好きな詩でござった。

信天翁さん その名に
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=127668

さぁ、やってきたでござる。これはただならぬたたずまいを感じた詩でござったので
拙者も襟をたださねばなりますまい。
なかなかに難しい表現がならんでおりますので、拙者も自分で調べてみたでござる。

黒南風(くろはえ):鳥羽・伊豆の漁師は、梅雨始めの強い南風を黒南風、
梅雨期間中の強い南風を荒南風(あらはえ)、梅雨明けを白南風(しろはえ)と呼ぶという。九州西北部では、今でもこのことばを使っているが、白や黒は、雲の色からの命名である。
 すなわち、梅雨中の陰雲な日の南風が黒南風で、そよそよと吹く季節風である。
ただし、荒南風は黒南風が強くなって、出漁などに好ましくない風のこと
白南風は、梅雨が明けて黒雲が去り、空に巻雲や巻層雲が白くかかるころ、そよ吹く南からの季節風のことである。
 歳時記では、黒南風は仲夏(六月六日〜七月六日)、
白南風は晩夏(七月七日〜八月七日)の季語に配されている。

Eros:エロスとはもともと「神の愛」の意

これは、短歌、和歌、俳句に造詣の深い方の書かれた詩だろうか、そんなことを思いました。
>まるで 有情(自然の情景美のあること)がエホバのErosに生かされ
>その名に生きようとするかのように
素晴らしいと個人的にはおもったのでござる。

この詩に関しては、言うべきなにものもないです。豊かやなぁ。。。

大村 浩一さん 中野島
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=127675

んー、これは拙者がなにか言うべき詩ではないでござる。好きな詩やった。
言葉を添えて新しい発見をうながすことも、今の拙者にはできますまい。

以下引用
エレミヤ49章10節や創世記42章9節において、エデンにおける「裸」や「裸の」
という言葉は比喩として用いられています。それは「資産を奪われ、無防備の」状態、また、「明らかにされた、露にされた」状態を表しています(ヨブ26・6、ヘブル4・13)。

おつかれインチキ侍!
コンチキチン。



散文(批評随筆小説等) 一人100人斬り(7月24日分) Copyright ワタナベ 2007-07-25 07:44:00
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