なぜか思い出す風景
チアーヌ

なんとなく、なんとなく。
夏が近づくと、思い出すこと。

もう10年近く前になるかな、わたしは学校を出て働いていました。
仕事の内容はかなり多種多様でした。
その中のひとつに、放送児童合唱団の事務局、というのがありました。
先生や伴奏の方は、外部の人にお願いするので、会社からひとり世話係りを
出す事になっていたのでした。
大元の担当は、部長などの役職がついたおじさんがやっていたのですが、
練習や演奏会、その他イベント(遠足とか、合宿とか)の付き添いなど、
細々としたことはわたしが一手に引きうけていたわけです。

児童合唱団、というくらいなので、団員は皆こどもたちです。小学一年生から、
中学二年生まで、男女合わせて20名くらい、市内中から集まっており、学校は
皆ばらばらでした。
学校が違う、というのがポイントで、みな、普段の自分から離れる感覚があるのか、
楽しそうでした。

8月に毎年、合宿をしていました。
蔵王の山の緑の中で、二泊三日、集団で過ごすのです。

なんか前置きが長くなっちゃいました。
わたしが書きたかったのは、この合宿のことだったんです。

合宿に来るのは、こどもたちと、先生と伴奏者、それと役員のお母さんたちです。
先生も伴奏者もお母さんたちと同じくらいの年齢で、こどもたちはこどもです。
わたしひとり、ちょうど真ん中くらいの年齢で、立場でした。

合宿は、こどもたちにとってはかなり楽しみなイベントだったようです。
こどもというのは、全体的に退屈していて、新しい刺激に飢えているのですよね。
みんな行きのバスからおおはしゃぎ、学校ほど厳しい雰囲気でないのが
うれしいようでした。
わたしも二泊三日泊まりこみになるわけですが、仕事で泊まるのはもう
慣れっこになっているので大したことじゃありません。

田舎で育っていても、高原の空気はまた格別です。
すっきりとおいしく、心が洗われるようです。
二泊三日、歌の練習をしながら、山歩きをしたり、お弁当食べたり、
夜は怪談をしたり。(わたしがしてあげた。こどもたちには受けていた(笑))
そして二泊目の、最後の晩は、花火大会なのです。

宿泊したホテル前の高原へ、みんなで手をつなぎ、花火を持って集まります。
打ち上げなんて派手なものは殆どなくて(市販の花火ですし、)みんな手に持って
仲良く花火を楽しみます。

そんなときでした。

わたしは、なんだか不思議な感覚に、襲われ続けていました。
ああ、通り過ぎるのだ、と。
わたしはここを、通り過ぎているのだ、と。

少し離れた場所で、花火をしているこどもたち、先生たち、母親たちを眺め、
そのどちらからも遠く離れた自分を思い、
なぜか、今自分がいるこの場所が、やたらに早い速度で、
「通り過ぎる場所」だと自覚していたのです。

わたしは悲しくなりました。
花火の匂い、夏の夜の匂い、まとわりついてくる蚊、暗い高原の風景、空気、風、
何もかもがすごく悲しくなりました。
わたしはこんなところにいたいのに、と。

わたしは、こんなところに、いたいのにな、と。

そのとき、なぜ、そんな風にそんなことを強く感じたのか、
自分でもよくわかりません。
ただ、そのときの風景は、今でも匂いごとはっきり、思い出せるのです。



散文(批評随筆小説等) なぜか思い出す風景 Copyright チアーヌ 2004-05-18 10:38:51
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