詐欺
深水遊脚

 振り込め詐欺がまだオレオレ詐欺と呼ばれていた頃の話。当時私は両親と同居していた。ある日の午前中、たまたま私は一人で家にいてその電話をとった。電話の向こうで泣きながら喋っているのは見知らぬ私!両親のうちどちらかに用事があったのかもしれないが、本物の私が電話を取るとは思っていなかったのかもしれない。フィクションの私は、実は借金をしていた、とか、それが返せなくなっているとか、そういう話を始めた。私は私の名前を告げたが、フィクションのほうは演技に夢中で聞いていない。他のことで手がいっぱいだった私は、電話を切って、すぐに177にダイヤルして話し中の状態にした。5分間そのままにして電話を切った。その後何事もなく今に至っている。恰好の笑い話のネタなので両親が帰ってきて早速その話をした。バカだなあ(笑)、警察に突き出してやりゃあよかったのに、と両親は言ったが、何の被害もないし面倒だし忙しかったし、それにうそがばれたくらいで動揺する相手ではないと直感していたこともあって、無視する作戦を咄嗟に選択したのだった。

 その当時は詐欺の手口がまだまだ稚拙だったから、両親がでてもあのフィクションの私は演技に失敗したであろう。でもそのとき考えた。演技が稚拙でなかったらどうだったかと。稚拙でない演技をするために、どのようなスキルが駆使されるだろう。文学、演劇はスキルとして利用されるだろうと思う。もともと人をだまして作品世界に引き込むのが文学であり演劇なのだから。ただ、詐欺グループが大勢の人に仕掛ける必要があるから、コストとベネフィットを比較するならスキルとして身につけようとすることは限られる。すると、どのようなスキルが利用されるのだろうか。

 演技する対象人物の年齢や家族との関係から、最も確率の高い人物像を割り出し、抱えるであろう経済的な問題もその人物像にふさわしい自然なものを想定する。そうすれば成功率を上げることが出来る。外れることは当然あるが、そのときは切り上げて次のターゲットに狙いを変更する。おそらくそのように詐欺グループは動いてくる。パターンにはまったストーリー、案外成功率が高いのはそれだろうと思う。同じことは形を変えていろんな場所で起こる。対象の最大公約数を算出し、効果を高める演出をし、気持ちよくさせたまま相手を騙し自分の利益を得る。創造行為としては唾棄すべき、最低の戦略であると私は思う。しかし、作品を公表しようとするとき、このような戦略を全くもたないことは考えられないとも思う。最低限、詐欺と創造行為を分けるものは何か。とりあえずそれだけ下に書いておこうと思う。

 読者を甘く見るな!


散文(批評随筆小説等) 詐欺 Copyright 深水遊脚 2007-06-28 10:01:48
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