あまのがわ
前田ふむふむ

換気扇が、軋んだ音を降らす。
両親たちが、長い臨床実験をへて、
飼い育てた文明という虫が、頭の芯を食い破るようで、
痛みにふるえる。
今夜も、汚れた手の切れ端を、掬ってきた、
うつろな眼で、アスピリン錠剤をあおる。

・・・・・・

痛むこめかみのなかの暗闇から、
         歪んだ閃光を浴びて。

動いている。
わたしを氷山に葬るまなざしで、
巨大なビルが、キリンの群のように、動いている。
生きているものは、つねに声を、
閉じられた咽頭の脈動を埋めた深みで、
震わせながら、
剃刀のような器を瞳孔のなかに浸して、
たえず、動いている。
  ――――遠く遅れてゆく、わたしの視線。

動かないものは、あすには、忘れられて、
思い出という柩のなかに、
石鹸の泡のように、仕舞われていくだろう。
暗闇のなかで、その化石にひかりをあてて、
感傷に耽る地表にだけは、秒針は止まっている。
その透明な、真新しい休息を、
動いているものが、踏み固めてゆくのだ。

急ぎ足で、ビルに迷い込んだ、一羽の椋鳥が、
サバンナを逃げ惑う、シマウマのような眼に、
飲み込まれまいと、慌てて、ときの歪に身をかくす。
見上げれば、原色の空は、
刺すように言葉を、起立させている。

動いている。
わたしは、矢のような姿勢で、動かなければならないのか。
はたして、わたしは、ほんとうに、動いているのだろうか。

動いている。
傷ついた言葉の断片に、
湧き水を口に含んで、微笑むあなたが、
無数の星となつて、
わたしの胸のおくを、流れている。
            生まれている。
               死んでゆく。

・ ・・・・・・

喉が渇いて、熱があるようだ。
音も無く、二つ目の閃光が、
         濡れている眼を突き刺す。

噎せ返る草のにおいのなかを、躰をしずめて歩く。
「父と母が、たどたどしい足取りで、
やや、うしろを歩く。」
草は波のように、寄せては還して、
塩からい汗を吐きだす夏を、加算しながら、
「姉妹は、白いレースで飾ったスカートを着て、
                 やや、前を歩く。」
腕と足に絡み付いてくる草に、躰を裂かれて、
わたしは、風に靡く葦のように、
口から気泡を吐いて、草の海に、たおやかに、
溺れている。

洗濯物を干す竿が、飛行機雲と平行に引かれている。
かわいた手触りで、ひかりを集めてある、
なだらかな丘陵が、白い芽吹きに包まれて、
かつて、あの虹の掛かっていた、
一面、恋人の胸のようなところに――、
あたたかい風が、仕舞ってあるのだろうか。

私信。
「あなたとの約束は、守れそうにはありません。
    きょう、やはり、たいせつな日です。
       雨が降っていますが、
   あの草のにおいのするところに行ってまいります。」

・ ・・・・・

しばらく、なだらかな素数の羅列が、
    軟らかくなった脈拍の上に引かれる。
       その最後尾を、三度の閃光が通り過ぎて。

     ・・・・・

雨は、蟻の隊列にも、休息を与える。

だから、弱い採光を、ステンドガラスから灯して、
講堂は、わたしに、赤々とした呼吸の滑らかさを与えて、
流れるみずいろの序奏のために、
躰を丁寧にたたんでいる。

座席に漂う、青く骨ばった息つぎ。
眼に映る、もえあがる新緑に充ちている春が、
わたしの手から、滲み出てきて、
込み上げる高揚を、口に切れば、
かわいた声は、全身の座席に、立ちのぼってくる。

講演台には、ガラス瓶の水差しが、中央に浮びあがり、
あなたの亜麻色の髪が、水差しのなかで、
雨に濡れている。
その、止まっている水滴のむこうに、
瑞々しい言葉の廃墟が、広大に走り、
きらきらとひかる、あたたかい、
あまのがわが、視える。



自由詩 あまのがわ Copyright 前田ふむふむ 2007-06-16 23:18:34
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