「ものとおん」#10−#12
リーフレイン

#10
     花

呼び鈴が鳴った。古アパートの玄関を振り返る。こちらが開けるのを待たずに硝子戸がガラガラと乱暴にひかれた。
女が一人立っていた。
赤子を背負っているようでねんねこをはおり、化粧ッ気のないおかっぱ頭の中年女でお世辞にもきれいだとはいえないご面相。 何を怒っているのか顔が歪み、白目の目立つマナコがふるふるとゆれてこちらをにらんでいる。
見覚えも全くない女で、一体何事なんだ?と怖かった。
「あんた、いい加減にしてよ!」
と、女は言うなり、づかづかと部屋に踏み込んできた。
「あたしたち、今日からここに住まわせてもらいますからね。家族なんだから当たり前です。」
「はあぁ? お前いったい何モンだよ」
「ああ、またそういう事を。情けない、忘れちまったんですか? あたしはあんたの女房で、この子は長男の均です。」
「俺は結婚なんかしてやせんぜ、おまえさん人ちがいしてないか?」
「してません。」
女と赤子はずっぱりと言い切ったまま、俺の部屋に居座った。
ベビーカー一杯分の荷物が運び込まれ、紙おむつやら着替えやらが部屋の片隅に積まれていく。 その所帯臭さに押しやられるように俺は黙り込んでしまった。

毎朝6時、日雇い土方仕事へ出るわけだが、翌日から朝ご飯が出現するようになった。 仕事上何がいるかよく知った風で、ペットボトルに入れられた冷やし麦茶と凍らせた麦茶2Lが何の説明もなしにテーブルの上に置かれる。その用意周到さを気味悪く思いながら、正直ありがたいと持って出る。その日一日考えこみつつ、いつもの飲み屋で夕飯を食べてから帰途につく。

灯りのついた硝子戸が夜目にまぶしい。
「おかえんなさい」
「おまえさん、まだおったんかい。」
「あたりまえでしょ、夕飯はどうしますか?」
「もう食ったよ。」
むずがる赤に乳をやっている。中年と思ったのは間違いで、白い乳はまだまだ若さを感じさせるものだった。 プツンと張りのある乳房を惜しげもなく出して口に含ませる。30前の肌だ。
「ほう、母乳か。」
「安いですからね」
口では蓮っ葉ないい様だが、顔はうっとりと赤子を見つめ、母の顔とはこういうものかと思った。ひとっぷろ浴びて寝る。
コップに雑草が挿してあった。

数日後、「今日は夕飯も頼む」といい置いて、1000円を渡す。
 
この女を抱いちまったら俺の負けなんだろう。まあ、このご面相だ、赤がいるっつだけでも不思議ってなもんだ。いや、どこのどいつがこんな女に、はは。肌が白いぜ。 しかし女ってなあ体臭がきつい。乳やってるせいなんやろか?脂粉てなあこういうのいうんだ。 歌なんか歌ってやがるぜ。雨が降ってきやあがった。仕事はなしだな。

「今日はタンポポかぁ。」






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#11
       コップの中の詩


なんだかすっかりやわな作りになってしまった近頃の傘は
数回雨にあうと、必ず骨が少し曲がってしまう
もう千円ぐらいは余分に出してもいいから、3年か4年は持つ傘が買いたいと
近所の傘直しのおじいさんに頼んでみると、
「もう、そういう傘は作らんようになりましたなぁ。 あっしの手で直せるのも1回こっきり。 傘そのものに気力がないんですぁ。  どうもかったるい世の中になっちまったみたいですぁ。」
と、ちょっとけだるい笑いを浮かべて答えてくれた

気力、気力 と 口の中で言いまわしていると、口の中がまずくなってしまった
むつかしいもんだなあと そばにあった芋の葉のしずくで口を漱ぐ
裏の川の魚も、このごろどうも水が金臭いと文句を言うので、
すまんねえ と、とりあえず雨雲に「一雨降らして下さい」と伝言を送るが、
伝言板になっていた空が黄色く褪せてしまって、うまく書き込むことができない

台風が来た

むつかしいもんだなあ

8分目ほどまで溜まったコップの中の雨は
くるくると回り始め
綺麗な竜巻を作ってコップの底からどこかへ流れていってしまった

あたしもコップに消しゴムを浮かべて、どこでもいいから一緒に流れていきたいとまじめに考えるが
結局のところこうやって見送ることが、生活ってもんかもしれないと
残念に思いながら ほっとして空っぽになったコップを眺めている








#12
     TABIBITO




オメラスを出た旅人たちが時折訪れる庭には
ガラスの壁が屹立している


ガラスにレリーフが
生まれたばかりの赤子が顔をしかめて泣く
数十年も世の中で生きていたかのように皺深く、疲れきった目をしている
硬く握り締めた拳に握っているのは臍の尾の端で、
それはまだ母の胎内に繋がっているのか 壁の向こうへ伸びて切れていた
壁に触れ、涙を流す

供物を持って
花の種、花の苗、草の実、樹木の苗
彼らは、壁の回りの土へそれらを埋め、自然の行いに任せたまま去っていく
庭では、さまざまな植物が繁茂し、枯れていく

庭に旗を
旗はいつかの旅人が作り、かなたの旅人が立てる
ガラスの壁が開かれ、新たなレリーフが現われる
巡礼が始まる

ガラスのレリーフ
言葉を教わることがない男は 人の手の温かみも知らず母の乳房も知らない
女の秘所の香りも知らず、自らを慰める術も知らない
世界の地図を夢見ることもなく、怯え、吠え、眠る
生まれてこのかた一度も髪を切ったことがなく、髭も剃られたことがない
焦点を決して結ぶことがない眼球があさっての方向を向いて静止する
彼を見る者は、彼の視線の先に立つことはないので、安堵し、安堵することに嫌悪する
沈黙のままに、彼に触れる

つかのま
壁に背をもたれ、世界を眺める
華やかな歌は少ない
さまざまな風が吹き、血が流れる
死は詩よりも身近で、醜いものは美しいものよりも現われやすい
雑草が繁茂し 様々なものが乱雑に建てられては壊れていく
弱いものは殴られ、裏切りが行われる
荒々しい風が吹き、荒々しい雨が降る
晴れやかな笑い声が響く

オメラスを出た旅人は
すぎし日にオメラスの中心にあった建物を訪れたように、庭を訪れる
オメラスには帰らない
だが、彼らはオメラスの子らでもあったので
オメラスを破壊することを夢想し、怯え、夢想でしかないことを恥じる
今は、涙を流すことができる 

いつか
数え切れない日の後で、ガラスの壁が溶解する日がくるだろう
全てのレリーフが溶けて流れて、花々で覆われた地面と混ざり合い
そして、砕け 
何もない砂原になる
永遠に続くものは何一つないのだから

その砂原に音楽が流れる
美しいものと醜いものが同値になった音楽が
風にのって微かに
流れる





注)オメラス
「オメラスを出る人々」A・K・ル=グィン
  (早川SF「風の十二方位」に収録の短編)
オメラスと言う名のユートピアの街。その快楽はごく少数の犠牲の存在の上に成立していた。 住人は何を犠牲にして何を自分たちが享受しているかを熟知し、なおかつその享受を手放すことがなかった。






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自由詩 「ものとおん」#10−#12 Copyright リーフレイン 2007-06-13 10:25:34
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