真珠の館
蒸発王

一度で良いから
真珠の館に住んでみたい

というのは
我が家の小さな家蜘蛛が
梅雨時になると決まって呟く言葉だ


『真珠の館』

 
   漂白された空から降ってくる雨粒は
   存外に
   水飴のように甘味な
   甘美な滴なのですが
   何より紡いだ糸に絡まって
   美しい珠に代わるので
   女蜘蛛たるもの
   一生に一度は
   そんな真珠の館に住みたいと思うのですよ


見ると確かに
雨上がり
窓の外の垣根には
スレンダーな女郎蜘蛛が
大きな八角形の館を構えていて
館は
真珠の雨粒で豪華にあしらわれてあり
まるで王妃の頸飾りのような
無限の輝きを反射させていた


家蜘蛛は
そんな真珠の館を
羨ましそうに見ているのだ




我が家の家蜘蛛は
その名のとおり
家からあまり出ないうえ
巣は作らず
ちょこちょこと走っては
本についたシミだとか
植木に大量発生したアブラムシだとかを
息を切らして捕まえて
お腹の足しにしているような
小さな小さな蜘蛛なので
家の外に出て
雨を着飾るなんてこと
今まで一度も無かったのだけど
やはり
彼女も女の子だったようで

少し寂しかったが

本蜘蛛の意気込みもあって

外に放した



数日もしないうちに
紫色の雲が時雨を連れて来て
としとしと
毛糸のような雨粒が落ちてきた

一刻ほどたって
水たまりが出来始めた頃
万が一と思って
2センチほど開けておいた網戸に
ズブ濡れになった家蜘蛛が
しょんぼりとくっ付いていた


   作った巣は弱すぎて
   雨の一粒が落ちたとたんに
   はらはらと破けてしまいました
   何度も試した見たけれど
   溺れそうになってしまい
   恥ずかしながら戻ってまいりました
   ごめんなさい


足先をすり合わせながら
下を向く家蜘蛛から
雨の匂いに交じって
塩辛い匂いがしたので
ズブ濡れな理由は
雨だけではないと判った


そんなわけで

失敗した家蜘蛛は
今日も窓の外から
お隣の真珠の館を
羨ましそうに眺めている
太陽が出れば
ものの5分で消えてしまう館なのに
家蜘蛛にとっては理想の家のようだ

食べる時以外は
大抵窓際にいるから
窓の縁に小さな巣を作っている

家蜘蛛の館は
小さな尻から出た
雨よりも細い細い銀糸で
繊細に細やかに編み込み
籠の形にしている
儚げに
薄い
春の霞を思わせる


春霞の館


空の色を受けて
青 赤 群青 と染め上がるのが
何より綺麗だと思うが



家蜘蛛は未だに

真珠の館に住みたがっている














『真珠の館』


自由詩 真珠の館 Copyright 蒸発王 2007-06-12 20:30:14
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