外に出て行くためのリスカ
佐々宝砂

いま、右手首がひじょーに痛い。うちの飼い猫の血膿をふきとろうとしたら、ズタズタに深くひっかかれた。場所が場所だし、猫の爪は鋭くてカミソリみたいなものだから、自分で見てもリスカの傷に見える。おもしろがって同僚に見せたら、彼女の顔からさぁっと血の気が引いた。あとで一生懸命になって「猫にやられたんだよ猫に」と釈明したが、信じてもらえなかった。たぶん、まだ信じてないだろう。今日は精神科受診の日だったので医者に傷を見せたら、「これはリストカットじゃないねえ」と一発で見破りよった。さすが本職である。

私は鬱病で摂食障害でパニック障害だが、リストカットの経験は一度しかない。19のときに一度だけ手首を切った。当時、私は精神的にかなり疲れていて、誰かにどこかに連れてってほしかった、それで手首を切った。自殺未遂という行為はさすがに周囲の人間を驚かせ、私は神経科に連れてゆかれた。いま思えば私は、死にたかったわけではない。外に出て行きたかったのだ。まだ行ったことのない場所に連れてってもらいたかったのだ。神経科、精神病院という、19の私には未知だった場所へ。私は自分が精神病院に行くべきだと知っていたが、あのころはどうしても行くことができなかった。当時の私のたった一度のリスカは、病院にゆくためのリスカだったのだと思う。

リスカはひとつのこっぱずかしい告白だ。自己愛に由来するひとつの切迫した表現行為だ。自分を切り刻まないと表現できない何かを表現するための。もちろんやらないですむなら、やらない方がいい。切ってる最中は案外痛くないもんだけれど、あとでズキズキ痛いし、だいいち何かの間違いで(笑)死んだら困るじゃないか(笑)。私は死にたかないのだ、生きていたいのだ。私にはいま、リスカの必要性はない。私はいま自分の足で病院に行くことができるし、自分の感情をある程度コントロールすることもできる。だから、きっと、もう二度とリスカはしない。断言はできないけれど、きっと、たぶん、しないと思う。


批評とは切り刻むことかもしれないと思う。ときどき、だけれども。


5/9に静岡県詩人会の総会があって、私は入会したての新人という立場ではじめて総会に出席した。ガチガチに緊張して出席したのだが、想像したほどおっかない会ではなかった。正直なところ、年寄りばっかで、しかもおそろしくつまんねー会議で愕然とした。そもそも36の私が最若手の新人でいいわけがない。詩人会の最若手、せめて15、6歳の年齢であってほしい。もちろんそう考えるのは私ばかりではなく、詩人会側でも高齢化をなんとかしたいと考えている風だったが、いまのところどうしたらいいかわからないらしい。私はとりあえずネット進出すべきだろうと思った。なんと、静岡県詩人会はまだデジタル化されていないのである。なんてこった。もうすこし威張れる立場になったらどんどんネット進出させてやるぞと決意したが、まだヒヨッコ新人なので今のところはおとなしくしている。

静岡県詩人会のひとびとは、ネット詩を知らない。ネットを主な発表場所にしているひとびとは、県詩人会のような地方の詩誌中心の会にあまり縁がない。接点が全くないわけでもないけれど、接点はまだまだ少ない。少なすぎる。どちらも閉ざされた世界でささやかな権力闘争に明け暮れている、ようにみえる。内部でうじうじしていてもしかたないということを、私たちはすでに知っている。外にでてゆかねばならない。しかし、外とは、未知の世界とはいったいどこのことだ?


外に出て行かねばならない。知らない場所に行かねばならない。私は暴いてみせなくてはいけない。さらさなくてはいけない。ネット詩の膿を。静岡県詩人会の膿を。なんのために? 外にでてゆくために、だ。どこだかわからない外部にゆくために、だ。そのために批評を書こうと私は考えている。膿をさらけだして、お互い未知の土地に立って、そしてお互いに出会うのだ。

そして私はなおも言うよ、確信犯として、嘘というささやかな犯罪を犯している自覚を持ちつつ、自分の考えが正しいと断言することの恐ろしさに怖気をふるいつつ、でも笑いながら言う、それでも、批評の根元的動機は愛だ、と。批評は愛だ。こればっかりは真実だ。愛は批評だ。他者と他者とが出会うことだ。出会うことによって、未知の場所に連れ去られることだ。何に対する愛かなんて釈明はしない。出発点は自己愛だ、でも、それでも「愛」の一種であることに間違いはない。自己愛からはじまってもいいじゃないか、外にゆこう、私はあなたを外に連れ出そう、あなたは私を外に連れ出そう、私たちは外で出会い直そう、他者として。でも、いったい、どうやって?

まだ方法がわからない。わからないから、自分の手首を切り刻むようなことになるかもしれない。


散文(批評随筆小説等) 外に出て行くためのリスカ Copyright 佐々宝砂 2004-05-11 02:22:26
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