落丁した夏
前田ふむふむ

夜のアゲハ蝶の行き先は、決まって、
忘れられた夢のなかの王国の紫色の書架がもえている、
焼却炉のなかを通る。
くぐりぬけて、
グローバル・スタンダードのみずが曳航する午後、
雨の遊園地で、イルミネーションを灯した笑顔たちが、
うしろむきに立ちならび、その背中に映るように、
子供たちが、傘のない病院のベッドの上で濡れている。
傷ついた眼差しは、絶えず降りそそぐ星座の、
軟らかいひかりの束を、見つめることはない。
か細い手で、廃墟のプラネタリウムを抱いて――、
  
  アゲハ蝶は、その盲目のときを、
        雄々しく、泳いでいく。

     ・・・・・

わたしは、アゲハ蝶を見失わないように、
夏の顔をもった翅と自由にいくえにも絡まる放物線を
追いかける。
目線の飛行を遮ろうと、
翅を小刻みに震わせながら、
  鱗粉を散らして、・・・

落丁した夕暮れの言葉が、ひっそりと整列している、
(女たちには見えなかったのだけれど)
父母が熱病のように読み耽った詩碑が、
うすい佇まいを曇らせるほど、
三つ葉つつじに覆われている公園の骨を歩けば、
ビニールハウスの苺の味を覚えた女たちが、
井戸端会議で、
紙幣をやいて、焚き火をしている。
一枚は、湿った閃光に溶けて、
お互いに右手の性器を握った手相の滑稽さに、
笑い合い、けなし合い、
二枚は、ゆれる炎が裂けて、左手のしわで蔽う手相に、
かなしみの声をあげて、
縮んでいる肉体だけを、妥協した砂場に沈めてから、
たおやかに、ビルの屋上から、折り鶴のように飛ぶ。
三枚は、マッチがふるえる手で、
さわやかに逝った白髪の鳩の腹を裂いて、
生ぬるく鼓動する携帯電話の設計図を取り出しては、
不眠症の顔を見つめあい、
組み立てる、新しい睡眠薬を飲みはじめる。
      美しい曲線を奏でる携帯電話の山の夢。
      溺れる女たちの食卓。
「一番鼓動しないデザインが、
        白いひかりの階段を昇っている。」
すべて燃やして、
焚き火に飽きた女たちは、若い鏡に覆われた鳥篭のなかで、
密かに呟き、その声の色を、
否定する鏡を割りつづけて、砕きつづけて、
やがて、歪んだ裸を舐めながら、
      ふたたび若い鏡の木を植える。
あのなかに、いっしょに、
   三日月の河を渡った女がいたような気がする。

わたしが、瞬きすると――、
青色に透過する翅は、海沿いを駆けている。
わたしは、追いかける。

    ・・・・・

塩からい指のしなりはなつかしい。
波に呼吸を重ねるように、翅をはばたかせて、
朝がひかりを、吹き上げると、
アゲハ蝶は、夜のなつかしい記憶を飲みこんで、
白光するわたしの血管に溶けこんでくる。

岬から見える学舎が剥落した風を送る。
わたしの遠い眼に映った、硝子張りの四号棟は、
飛行機雲の足元に寂しく佇んでいた。
戸口、窓は悉く、閉ざされていて、
建物は、眼を合わすことを拒否していた。
消せない血液の飛沫を上げて、
眼を逸らすことも拒否していた。
名前だけは、空に向かって息をしていたが、
決して、それを口にする生徒はなかった。
「あれは、わたしの眼帯だらけの眼・・・」と、
ひとりの赤い服の生徒が指差したとき、
周りのものは、顔をこわばらせて、
    注意深く、地球儀を白紙一色に染めてから、
    グランドを鋏で切って走った。
赤い服の生徒は、四号棟を抱きしめて、
透きとおっている、小さな口から、
アゲハ蝶を吐き出している。
       
わたしは、吐き出したアゲハ蝶を追いかけて、

   ・・・・・

逆光線のなかを揺れるように、
アゲハ蝶は止まる。
    父の声がする、
  噎せ返るような草のにおい、

止まったまま動かない。

  ・・・・・

動かなくなってどれ位経つのだろう。
お囃子の音とともに過ぎる祭りの賑わい、
屋台の列が、白くひかっている。
  ひかれた道も、さらに、白く塗りつぶされていて。
消せない白い傷が痛む。
わたしは五人分の綿飴を買い、
包むように仲良く分ける。
みんなの手は、舌足らずな甘味で、
笑っていた。笑い声も白くひびいていた。
神社の階段は、急勾配で、

  ・・・・・

わたしは、狭い十二段の階段を昇る。
新しく取り換えた蛍光灯は、簡素なわたしの部屋を、
清潔に象る。
一本の静寂がアゲハ蝶の標本を見つめて、
窓辺に寄りかかる。
しきりに流れるものは、
あなたへの哀悼のために、流れていよう。
思い切り、湿った息を深くひろげてから、

わたしは、ひととき、
     浅い微光の海に眠ろう。
     
     




自由詩 落丁した夏 Copyright 前田ふむふむ 2007-04-27 23:37:47
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