連作「歌う川」より その3
岡部淳太郎


ひとつぶの声・ひとつぶの水

祈る人は知る
自らの歌が
ひとつぶの声であることを
自らの祈りが
ひとつぶの声であることを

橋を離れ
その下の暗黒を離れ
いまや大河の様相を呈し始めた川に沿って
祈る人はなおも歩いている
橋を渡る
旧人類の群れを遥か後ろに
置き去りにして
祈る人はなおも歩きつづけている
川は歌っている
自らの歌が
ひとつぶの声であることの
喜びを

川が
無数のひとつぶの水で出来ているように
人類は
数え切れないほどのひとつぶの
ひとりの人で構成されている
今夜
宇宙をひとつぶの歌が飛行する
その歌は
もうひとつの そして無数の
ひとつぶの歌と交差して
銀河の中できらめく
広大無辺の
神聖なるコーラス
それは今夜だけでなく
宇宙が誕生した時からずっと
鳴りつづけていた歌
人類は見ていた
天上で交わされる
歌の口づけを

祈る人は知る
自らの歌が
ひとつぶの声であることを
彼は川べりを歩きながら
無数のひとつぶの声に耳をすます
人は
ひとつぶの水 すべての生命の中の
地球は
ひとつぶの水 すべての星々の中の
ひとつぶずつの
声と
水が
あつまって
ひとつの大きな川
大きな歌になる
その流れ その旋律は
宇宙の全存在を
次の時代へと導く

祈る人は知る
自らもまた
ひとつぶの水であることを



川に浮かぶ島

川は
いまや大河としての風格を誇り
滔々と流れている
祈る人は歩く
いまや広大に領土を拡大した
川原の上を

大河と化した川の中に
島が浮かんでいる
そこには舟が繋がれており
人が住んでいた

祈る人が佇んで
島を見ていると
舟が
彼のいる川原を目指して漕ぎ出された
舟には老人が乗っており
祈る人に云った
――ようこそ、我らの島へ。

このようにして祈る人は
島へ招かれた
島には高床式の家が建てられており
ひとつの大家族が住んでいた
彼等は上流から流れてきてここに住みついた
川の
漂流民だった

自らを家長と呼ぶ
老人が
家族を紹介した
――おいで、子供たち。
老人が手を叩いて呼ぶと
川の中から子供たちが顔を出した
その数は十二人だった

また老人は
家の奥に入り
施錠された扉の前で口に手を当て囁いた
――妻よ、出て来なさい。お客さんだよ。
だが扉の中からは物音ひとつ聴こえず
人の気配さえもしなかった

十二人の子供たちは
祈る人を泳ぎに誘った
――見ててごらん。僕たちは魚みたいに泳げるんだよ。
一番年長と思われるひとりが云い
川に飛びこんだ
太陽の光が反射してきらめく水の中で
彼は呼吸しながら泳いだ
他の子供たちも彼につづいた
祈る人も泳いだ
川で泳ぐのははじめてであるにも関わらず
彼は川 そのもののように泳いだ
泳ぎつかれて水面に顔を出し
島を見上げると
ひとりの少女が家の戸口に佇んでいた
彼女は川に祈る人の姿を認めると
にわかに跪き
激しく嘔吐した

その少女が家長の妻だった
家長によると
彼女は少女のようではあるが
実際は八十八歳であり
家長自身は老人のように見えるが
二十二歳だった
そして子供たちは
それぞれ年齢が違っているように見えるが
みなつい昨日生まれたばかりだった

その夜家長は
妻を看病していて一睡もしなかった
祈る人も
その様子を見ていて一睡もしなかった
老人のような若者が
少女のような老婆を
看病する光景は神聖かつ
背徳的な色合いを帯びていた
その後ろで
同時に生まれた十二人の子供たちは
魚の夢を見ていた

祈る人は
家族とともに多くの日を過ごした
家長の妻は
病の床に伏せったままで
視線の隅で祈る人の姿を認める度に
激しく嘔吐した
祈る人は
夫婦にはなるべく近寄らないようにし
十二人の子供たちと
川を泳いで時を過ごした

ある日
祈る人は子供たちに歌を聴かせた
それは生まれた時から憶えている歌だった
歌い終ると
子供たちは声をそろえて唱和した
――僕たちにも教えてよ。
だが家の中では
ちょうど祈る人の歌の旋律が
最大の高揚を示した時
その歌声に合わせて
少女のような老婆が激しく嘔吐し
老人のような若者が熱病で倒れていた

新たな漂流が始まろうとしていた
祈る人が十二人の子供たちを引き連れて
家の中に入ると
家長の妻は際限なく嘔吐を繰り返し
家長はそのかたわらで
熱にうなされていた
――お父さんとお母さん、もうすぐ死ぬんだ。
十二人のうちのひとりが
ふいにつぶやくと同時に
家長とその妻は事切れた
家長の妻の枕元から床に広がる
吐瀉物には
魚の鱗が混じっており
家長の熱で赤く変色した額から流れた
汗には
彼の体内に沈澱していた金粉が混じっていた
――僕たち、魚にならなくちゃ。
十二人の子供たちが声をそろえてつぶやいた
――ありがとう、お兄さん。
再び声を合わせて祈る人に告げると
彼等は家を出て
川の中に飛びこんだ

祈る人は
ふたつの老いと若さが逆転したままの遺骸を
呆然と見下ろしていた
子供たちは軽々とやり遂げたというのに
無残にも横たわる
失敗者の成れの果て
あの子供たちのように泳ごう
泳いで川原まで戻ろう
祈る人は決心し
島を後にして川に入った その時
雨が降り出した
やがて天は激しく雨の嘔吐を繰り返し
ふたつの遺骸を
その熱もろとも流し去った
海にたどりつくまでの
再びの
漂流が始まった



川に降る雨

雨が
川の上に降る
川は
更なる領土の拡大を喜ぶ
もうすぐだ
もうすぐだ
僕たちはひとつになれる
水が 囁く
頭上から
足下から
あらゆる方向から
ひとつぶの水の囁く声が聴こえる
その囁きはひとつの
大きな
声になって
川原で立ちつくすだけの
祈る人をつつみこむ
雨が
川の上に降る
更に激しさを増して降り注ぐ
もうすぐだ
もうすぐだ
この惑星が
地の星でなく
水の星であることを
立ちつくしながら
祈る人は知り始めている
水の歌は
喜びの合唱となって
宇宙を飛翔する
この惑星からほとばしる水飛沫
それは遥か彼方の
孤独の億光年先からでも見える
洪水
何という素敵な言葉
雨が
川の上に降る
更に速度を増して降り注ぐ
もうすぐだ
もうすぐだ
祈る人は
全身ずぶ濡れになって立ちつくしている
祈る人の
身体の中の水も
外界の喧騒によび醒まされて
雨と
川と
一緒になって喜びの合唱に加わる
人は川
僕たちは川
僕たちは水
僕たちは水の星
もうすぐだ
もうすぐだ
僕たちはひとつになれる
水が
全方位から
ひとつぶずつの水が 囁くと
その囁きはひとつの
大きな
歓喜になって
銀河の群集の
隅に立ちつくしている
この惑星をくまなくつつみこむ
天も
地も
すべてが川であり
人が
ひとつぶの水であるように
この星も
宇宙の長大な川の中の 大きな
ひとつぶの水である

そして
その川の上にも
雨が降り注いでいる



氾濫

雨が降り
祈る人は川原で立ちつくし
川はあふれ
川はふとり
際限のない過食の川
祈る人は立ちつくし
その間も川は
あふれ
ふとり
かつてどんな王国でさえも達成したことのない
広大な版図を
手中に治める

雨は降りつづき
川は膨大な水の暴徒となって
たけり
とどろき
祈る人はなおも立ちつくし
川はなおも
たけり
とどろき
雨はなおも降りつづき
天と地の間で
水の握手は延々とつづき
祈る人はよろめきながらも立ちつくし
この宇宙の
あらゆる混沌のために 祈った

雨は降りつづき
それはまるで
天の水瓶の底が割れたかのように激しく
全人類の涙混じりの拍手喝采のように激しく
ひたすら降りつづき
祈る人はよろめいて
川に足下をさらわれそうになりながらもなお
立ちつくし
川は大量の雨の援護を受けて
いよいよ激しく
いよいよ狂暴に
喚きつづけるのだが
それは断じて
川の暴力などではなく
人もまた
そうであるように
川のもうひとつの姿に 過ぎない

雨は降り
それは七十日七十夜降りつづき
祈る人の立ちつくしていた川原も
強大な水の軍勢に覆いつくされて
祈る人ももはや
立ちつくす余地もなく川に
さらわれる
川はふとることで
やせた土地に息を吹きこむ
川はあふれることで
川底に隠れていた真実を
水面に浮かび上がらせその存在を
全人類に示す
そして川はあふれることで
澱みに溜まって行き場を失くしていた魂たちに
次の生の
ありかを教える

やがて雨は止み
川は静まり
それは久しぶりの静寂だった
川の
変声期の少年のようなやけくその合唱も
鳴りを潜め
川は再び
優しい歌を歌うようになった
川に呑みこまれた祈る人も
いつしか水がひいた川原に
難破船のように打ち上げられていた
祈る人は意識を取り戻し再び
川原に立ちつくした
軍勢が過ぎ去った後にはいつも
呆然自失の廃墟が横たわっている
祈る人はよろめく足で立ちつくし
この宇宙の
あらゆる秩序のために 祈った

そして雨は上がり
川は何事もなかったかのように
静かに流れていた
祈る人は川原に立ちつくし
川は歌っていた
川は流れていた
水に洗われて
祈る人は新しい自分を知った
川に沿っての
果てしのないように思えた旅も
まもなく終りを迎えようとしていた
彼の胸の中では
彼方からやってきた隕石の芽が
育ちつつあった
川は歌っていて
川は流れていて
それを立ちつくして見つめる
祈る人の口から突然
膨大な量の祈りの言葉がきかれた
それは
天の水瓶から水があふれ落ちるように
滞りなく
彼の喉からほとばしった
その祈りの
激流の中で
言葉たちは周囲の空気を侵略し
その版図を広げた

祈りは
この宇宙の
あらゆる混沌と秩序のために
一昼夜
つづいた



太古の川

          ――祈る人の独白

川よ
俺はいま
大陸の尻尾に掴まって生きている
かつては「川」そのものだった俺だが
いまはラ行の歯切れ良いリズムで
祈りを吐き出すことを生業にしている
そう
俺は
祈るために生まれた最初の人類
俺は
川(お前)
と同化していた者
まだ歴史が形造られる前
時代の曙の頃
俺は川
「川」そのものだった
(隕石よ)
(俺の記憶よ)
俺はくねり
くねり
流れ
流れつづけて
時には氾濫して樹々を押し流し
時には干上がって死にかけ
それでも流れ
流れつづけていた
海を目指して
この大陸の突端の先に茫洋と広がる
わが歌のふところを目指して
俺は流れていたのだ
流れることの
所在なき快楽
俺は川としての
生を
生きていた
歴史はまだなかった
人はまだ生まれておらず
この地球上にあるのは
原初の有機物と




そして霊魂だけだった
俺は川だった
俺は「太古の川」だった
この大陸の尻尾で
雄大に流れていたのだった
(隕石よ)
(隕石よ)
かつての大陸と列島との
戦い
その先頭に立って俺は
川として流れることで
列島と戦っていたのだ
だが川よ
(お前だ)
俺は川としての生を終え
いま
人として
ただひとりの人として
この地に立っている
歴史はいまやお前に対して
あまりにも厳しいが
せめて
流れよ
かつての俺のように
人の愚かな支配の手から逃れて
ただ一本の
清流として
濁流として
流れて
歌のふところに還れ
俺はかつて
川として流れていたが
流れとともに幾多の土砂を
押し流し
押し流し
新しい陸地を造り
やがて川としての使命を終え
この大陸の突端で
枯れ果てたのだった
だが見よ
この世に水がある限り
川はまた新しく生まれる
人の支配の手を
するりとかわして
かつての俺のような
新しい川が生まれるのだ
川よ
いま俺は立つ
ただの人として
だがまったく新しい人として
この大陸の突端の地に立つ
川よ
流れよ
俺は
歌う
歌うことで祈る
あの宇宙の深淵に向かって
この川(お前)の流れに沿って
歌いながら
祈りながら
旅をつづける
歴史の頁は繰られ
やがて祈りの時代が来るだろう
その前にもう一度
太古の戦いが現前するだろう
その時俺は
かつての川だった頃の
自らに還り
再び大陸と列島との戦いの
先頭に立つ
その時のためにも
俺は
俺の歌を
俺の祈りを
決して錆びつかせはすまい
いまも
俺の身体の中に
もうひとつの「川」が
流れつづけている
俺は川だ
俺は歌う
そしてこの川の岸辺で
眠る時
俺は
巻貝のような
終ることのない
夢を見る




自由詩 連作「歌う川」より その3 Copyright 岡部淳太郎 2007-04-03 23:03:29
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