燃料切れ
光冨郁也

 ひとりでどのくらい走ったのだろうか。地平には果てがない。アクセルを踏み続け、車外の狼と平行して草原を突き抜けた。狼はときに宙を跳び、ときに地をすべり追跡してくる。車体に草や砂利があたった。街の明かりは遠く、荒れた地の草は時に刃物となって、金属をも切り裂く。途中、車の底で音がしたので、岩でタンクが裂けたのかもしれない。しばらく走り続けたが、やがて車は動かなくなり、メーターは0を示した。ガソリンが切れた車から、しずかにかげる地平を見ていた。斜め下方、日が暮れかかっている。草原を抜けた先は荒野だった。茶色い岩が点々としている。ハンドルの汗ばんだ手をはなし、眼鏡のフレームを上げる。指ひとつ分、見える光景が上下する。

 ジャケットの襟を立て、ファーがつくフードを被る。ガラス一枚に冷え始めた空気が隔たられている。地平、風でわずかに残る草むらが波打っている。なびく草の先。遠くこの平野は、海につながっている。焼けた西の空から、風が吹きつづけている。
 かすかに蒸発したガソリンと古いシートの匂い。わたしのまわり、ガラス窓から顔をだすのは狼の目と鼻。一頭、また一頭とわたしの車を囲む。獣の灰色がかった銀の毛が風になびく。窓ガラス一枚、車体の金属一枚で、わたしは隔てられている。
 狼、この地では滅びたはずの種族。

 一頭、また一頭、増えてくる。うろつく。七頭はいる。ときおり光る眼。背の毛は風でなびく。灰色の毛のもの。茶色い毛のもの。白い毛のもの。まだらな色の毛のもの。みな一様にやせていて、そして飢えている。駆けること、喰らうこと、そしてしばしの眠りにつくことで、生き延びた彼ら。
 一方のわたしは、ダッシュボードを開ける。なにか役にたつものはないか。車のマニュアル本、車検証、ジッポのライター、ティッシュ。地図。足下の赤い発煙筒。ナイフはない。対抗できるものはなかった。しかたなくダッシュボートを閉める、その手に力がはいらない。
 もう一度だけ、アクセルを踏むが、車は動かない。拳でクラクションを叩く。その音に、染まる雲は裂けていく。

 日が暮れた。風が車の窓にあたる。いつしかハンドルをつかむ手は乾いていた。のどがかわく。狼らは見えない。夜は静かにうずくまる。力なくエンジンのキーをとめ、また回す。なにも変わらない。シートにもたれる身体が重い。顔をあげて、前方を凝視する。気分が悪くなって、手で口をふさぐ。指があごの輪郭をつかむ。無精ひげの感触、寒い。暗い地平には限りがなく、そして夜はいつまでも続く。自分にも聞こえるわたしの吐息。
 窓から見える紺色の空と、影の大地とに挟まれ、わたしは力なく、眠りにつこうとしている。

(この地にひとり取り残されてしまった)


自由詩 燃料切れ Copyright 光冨郁也 2007-03-11 22:52:36
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