にせの春
高宮シンゴ

うららかな 鳩のような日
もう季節は移り変るという開放感で僕は
浮き上がる
僕は (手ぶらで)
散歩に出てみる
空は (裸足で)
僕の上にのしかかる

道をゆく
この道をゆく 受胎可能な少女たち
欄外の環の上で僕は彼女たちとすれ違う
ヘンリー・ミラーのような好色な眼で
僕は見てしまう
光はごく自然に
彼女たちの未成の魂から生まれ出る
その光線に含まれる毒と薬を
まともに浴びる僕 (何の防御もなく)
僕もゆく
この道をゆく
すべての可能は僕とは無関係に
本分の環の上を回るように思える
すれ違う
 僕
  少女たち

春であろうと なかろうと
僕はこりずに散歩に出てしまう
 僕はこりない人である
歩を散らす
歩が散る
目的も持たず 意志もなく
僕を散らす
僕が散る
どこまで散ればいいんだろう
あらゆる色彩はこの地の上に密集し始めているというのに
知りつくした道の上だけで移動をつづける
僕はまだ こりない人である

やがて世界は動き出し
花も虫も蛙も熊も 眠りから眼を醒ます
春の午後にまぶたが重くなるのは
人が考え出したまぬけな戦略
動くべき人は 動いている
目醒めるべき人は まだ悪夢とともにある
動く人がすでに手をつけ始めた
若い賭け
僕は散歩の道すがら
その資格もないのに冷笑の眼で見る
僕よ 静かな生活よ
生が滲み出すその現場に居合わせているというのに
何故 とりあえず鍵盤を叩いてみようとしないのか

僕の散ってゆく歩行は
陽の傾きとともにこの丘をひと巡り
いつもこうして時が終ってしまうのだ
散っただけで
ただ自分を散らすだけで
疲れた僕は公園のベンチに坐りこむ
ららら うららかな春は
ら行の希望を誰にも平等にわけ与えている
僕は歌う時 いつもら行で吃る
花は吃らない
陽も風も少女たちも
この春のコーラスは
吃る者がいる限りにせものであるだろう
春を無駄づかいする回り道の人生からぬけ出すために
春の和音に参加するために 僕は
立ち上がらなくてはならない
たとえその時僕を
暖かい立ちくらみが襲ったとしても


自由詩 にせの春 Copyright 高宮シンゴ 2007-03-11 22:46:17
notebook Home 戻る