仕事の話
吉田ぐんじょう
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好きと嫌いが
ギアの上で揺れていました
わたしはちょっと迷いましたが
結局どちらとも決められないまま
右手で好きも嫌いも
すっかり覆い隠して
細心の注意を払い
前の白い車を追い越しました
上司から電話が架かってきています
わたしはそれを無視しました
携帯電話が静止するさまは
まるで心臓が止まるようです
誰が泣いているのかと思ったら
雨が降ってきたのでした
・
道行く人は幸せそうです
ぼろのスーツを着たわたしは
まるで乞食かさなぎのようです
右胸だけが不自然に膨らんでいるのは
大量の名刺が入っているためで
ときどき海へばらまきたくなります
何百枚ものわたしの名前が
海へ舞い散る情景は
きっと美しいことでしょう
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ふふふと笑うと電話が鳴ります
電話の音は
夏の終わりの蝉に似ています
耳に押し当てた受話器から
流れ出してくる知らない声は
のったりと耳を満たすだけ満たして
すぐに切れてしまいます
不通音を聞きながら
わたしはメモ用紙を取り出して
頭をゆっくり傾けます
そうすると耳から声が流れ出し
ぼとぼとと記録されゆくのです
そうしてまたわたしは
同じようにからっぽになります
誰かの怒声が聞こえます
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さようなら
と言って社を出ると
わたしはこっそり指輪をはめます
君からもらった指輪です
それは真っ暗な駐車場で
凶器のように光るのです
・
かばんは帰宅した途端
ひどく重たくなります
じゃっとファスナーを開くと
こぼれだしてくるのは
無能でした
すっかり無能を取り出してしまうと
あとに残ったのは
四色ボールペンだけでした
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