王女メリサ3
atsuchan69

 夜、だれかがお城に石をなげて捕らえられてゆくのをメリサは物蔭からエスターと一緒に見ました。城壁には王様の悪口を書いた張り紙が、剥がしてもはがしても貼られました。今しも見まわりの番兵がそれを剥がしましたが、行ってしまうとひとりの少年がやってきてみごと一瞬のうちにまた同じビラを貼りました。
 町じゅうを食べてゆけなくなった家の子らが親さえ失ってさまよっています。
 その多くは、王さまに反対した者の子どもたちでした。
 濃いオリーブ色の外套を着たメリサは頭巾をはずし、垢まみれのボロを纏(まと)って石畳のうえに寝る子らのすがたをみて言いました、
「エスター、わたしに魔法をつかわせて頂戴。あの子たちにパンとチーズ、そして温かいシチューをたべさせてあげたいの」
「ええ。誰もメリサをとめたりはしませんよ」
 するとそこへ市長の家族をのせた馬車がやって来たのです。キャビンのなかには着飾った服を着たうつくしい夫人と息子、そして市長が向かいあわせに座っていました。息子はにやにや笑いながら、窓から道端に寝ころぶ少年たちを見て言いました、
「アハハ。とうさん、あれ見てよ。ひどいよ、汚くてとても見ていられないや」
「まったくだ」
 と市長はこたえ、「しかし孤児院はどこもいっぱいで、やつらをこの町から追いだすしか方法がないのだ。ところが追いだしても、追いだしても、またやって来る。まるでイタチごっこだ」拳をひらいて、お手上げだというみぶりをしました。
「なんて不潔な子どもたちでしょう!」
 ほんのすこし窓の外をのぞき、あきれたような顔で夫人がいいました。
 息子はすぎてゆく光景をしばらく窓にはりついて見ていましたが、とつぜん馬車が止まったので父親にたずねました、
「どうしたの父さん。手袋でも忘れたのかい?」
 すると市長はなにも言わず、馬車をおりると、
「君たち! はやくこっちに来なさい」と大声で“かれら”を呼びました。「さあ、早く!」
 手招きする市長を不思議に見つめ、少年のひとりが起きあがりました。
「おい、どこかのおじさんが呼んでいるぜ」
「ほっとけ、かかわるなよ」
「眠ってるんだ、唯一のたのしみを邪魔しないでくれ!」
 そこで市長は少年たちのすぐそばまでやって来て言いました。
「安心しなさい。わたしはこの町の市長だ。たった今ここを通りすぎたが、君たちを見てひどく不憫に思った。どうしても何かしてあげなくてはおれない気持ちになったのだ」
 やがて市長は五人ほど男の子をつれてきて息子と夫人に言いました、
「わしらは歩いて家に帰るのだ。さあ、降りたおりた」また手綱をとる従者にむかってこう言いました。「家に着いたらこの子たちを特別な客として迎えるよう執事に伝えるのだ。くれぐれも丁重にもてなせとな」
 そして馬車は命ぜられるままに走りゆきましたが、息子はきょとんとした顔の夫人のうしろにまっわて顔をのぞかせ、泣きべそをかきながらこう言いました、
「父さん、あんまりだ。なんだって僕たちをこんな惨い目にあわすの?」
 すると市長は急にけわしい顔になり消えた馬車の方にむかってこう叫びました、
「馬車はどうした? なぜわしらはここにいる?」
 メリサとエスターは一部始終をすべて見届けた後、とりのこされた三人のまえを、くすくすと笑いながら通りすぎました。



 クリスマスの夜、とある家のテーブルに七面鳥の丸焼きが皿に盛られ置かれてありました。その横にはピンクの花瓶が置かれ、可憐で質素なクリスマス・ローズの花が、たったいま摘んできたばかりの姿で飾られています。
 ところどころ継ぎのあたった服を着た子が、父親のところへ来てこう言いました、
「父ちゃんかい? 七面鳥買ってきたのは」
「さて七面鳥。昔は毎年クリスマスにはきまって食べたものだが、今ではこの通りごらんのありさまだ。夢を見たならすまない。不甲斐ない父さんを許しておくれ」
 父親はそういうとまた家具の修理をはじめました。
 それで今度は二階へゆくと、ほのかなランプのあかりを頼りに母が縫いものをしていました。
「テーブルに七面鳥が載ってるよ」
「いいよ、母ちゃんのために嘘までついて喜ばせなくても。なんにもプレゼントは出来ないけどさ、せめておまえの履く靴下の穴でも塞いであげようと思ってね」
「かあちゃん、俺、うそなんかついていない。ちょっと下へ降りてきてよ」
「ああ、そうかい。そろそろ食事にしないとね。粗末な夕食だけどデザートにレモンの香りのパンプディングをこしらえたよ」
 しばらくの後、台所へやって来た母は「えっ」と叫びました。「なんだい。父ちゃんしかいないよ、こんなことするのは! わたしたちをびっくりさせようとしてさ」
 ピンクの花瓶は、テーブルにクリスマス・ローズの花を残してもうありません。花瓶は、姿をかえたメリサ王女だったのです。




 メリサは城へもどると、見わたすばかり豪華な料理のずらりと並ぶテーブルにふたたび就きました。
「王女、先ほどからご様子がなにやら変ですぞ。たびたび中座なされておりますが」
 侍従が訝(いぶか)しげに言いましましたが、
「ええ、ちょっと・・・・」
「つまり」そう言ってエスターが侍従にウインクしました。「・・・・です」
 侍従は首をひねりました。すると妃が立ちました。
「失礼」
 メリサもウインクします。侍従はまた首をひねりました。
「ところで王女」
 王さまが言いました。「あとでお話が・・・・もちろん教師エスターも御一緒に」



 しばらくの後(のち)。王さまは暗い鏡の部屋の鏡台のまえに座るとそこに映る自分の顔をみつめ、らせんに巻いた口髭に手をあてました。部屋には明かりがなく、ランプの灯りは召使いが手にしていました。
「ここは前の妃の部屋か?」
「左様でございます」
「余には、まるでここが開かずの間のように思えるが・・・・」
 やがて鏡にふたりのならんだ姿がうつるのを見て、
「来られたか。いや、てみじかに話そう」ふりむき言いました。「今日はクリスマス。贈り物を進ぜようと用意した」
 そして腰掛けたまま、両わきのポケットから別々の小箱を同時にとりだし、
「こちらがメリサ」まず右手。「こちらがエスター」そして左手。
「まあ」
 ふたりは顔を見合わせました。
「お取りくだされ」
「はい」
 メリサが受けとると、つぎにエスターも箱を手にしました。
「ああ。わたくしのような者にまで・・・・」
 謎めいた笑みのある涼しげな顔でエスターは言いました。
「王女、箱を開けてみてはいかがかな? ――エスターもどうぞ」
「わあ!」
「すてき!」
 小箱の中身はプラチナの台にのった煌めくピンクトルマリンの指輪でした。
 そしてエスターの小箱にも同じ石のネックレス。暗い部屋のなかでそれはひと際つよく輝きました。
「お気にいりましたかな?」まだふたりが礼も済まさぬうちに王さまは立ちあがり、「すこしばかり余の話を聴いていただきたい」
 そう言いました。
「どうぞお話ください」
 ただエスターは何も言いませんでした。
「御存知かとは思うが」王さまは両手をうしろに組み、そこで少し歩きだしました。「余と妃のあいだには世継ぎの者がおらぬ」
「王さま。わたくし、お邪魔では?」
 エスターが言いました。
「いや構わん」ランプの灯かりから遠のき、王さまは続けました。「王女、余のおこなう政(まつりごと)をいかに思われる?」
 影のように、暗闇にまぎれ王さまは立ちどまりました。
「・・・・」
 あえて賢明なメリサはなにも答えません。
 すると、
「ふふ」やや笑い、「是非このことを知っていただきたい。余のおこなっていることは未来のための架け橋にすぎぬ」王さまは背中をむけました。「今はなにもわかりますまい。政とは、人の情けでうごくものでけしてないことを」
 ふり向いた王さまの顔がランプの灯りにほのかに照らされ、まるでメリサの心と同様にかすかにも揺らぐのが見えました。



 翌年のある日。夕焼けの空を瞳の奥にのこして、にわかにあつめられた兵士たちが順序正しい隊列をくんで出てゆきました。
 冬の風はつめたく、空のうつくしさはまるで哀しみがこの世界のたったひとつの真実であるかのように思わせます。とても残酷に・・・・とても鮮やかに映った空の下を、あれた唇を噛み、ふるえる瞳を瞬かせることもなく、自分を殺し、ただ 命じられるがまま兵士たちは出てゆくのでした。
 枯れた木立のある丘にひとり隊を見送るメリサは外套の頭巾によく冷えた手をあて、ただそこに立って兵のゆくさまを眺めるばかりでした。指のリングがつめたく凍るように煌めいています。メリサは眼を閉じました。矢継早に惨(むご)く血なまぐさい光景があらわれては消えます。・・・・爆裂する砲弾や土くれのしぶき、倒れる兵士のうごかぬさまや足のない屍、半開きの口と永遠にとじぬ眼・・・・。
「母さん・・・・」とメリサはつぶやきました。「わたしこんなの望んでない、望んでないわ」
 すると背後にエスターが立っていました。
「迎えにきましたのよ」
 メリサはふりむき、
「気がつきませんでした。エスター」
 そう言って、にこやかに口元をゆるめました。
エスターは首のネックレスに手を触れながら、とつぜん、
「メリサ。わたし教師を解任されました」
 そう言いました。
 王女は瞳をまばたかせ、
「ああ、それは。どうしてですか?」
 確かめるように言いました。
「わかりません。でもこれがいけなかったのかも・・・・」
 エスターはピンクに煌めくネックレスを、すこし持ち上げてみせます。「これね、とても気にいっているのよ。わたし」
「いかないで。エスター! わたしひとりになるわ」
「わたしも。もう少しいてあげたかった」
「ああ、こんなとき・・・・こんなとき泣けたらいいのに!」
 メリサはエスターにしがみつきました。
「もうメリサは子どもじゃないわ」
 エスターはメリサの栗色の髪をなぜながら、その瞳に夕焼けを映しました。「わたしの力は夢。でも本当は見てはいけない夢もあるのよ。そして夢はどこまでも夢なの。夢はけしてひとりで見るものではないわ」
「きっと王さも悪い夢をごらんになっている」
 しがみついたまま離れようともせずメリサはそう言いました。
「ええ。だからあなたがいるの。そのことがわかる? メリサ」
 メリサは甘えた声で、
「わからない・・・・そんなのわからないわよ」
 ちいさな額をエスターのからだに押しあてて言いました。
「それからあなたにひとつだけ言っておかなくちゃいけない・・・・」
 急にエスターは真顔になってしゃがむと、メリサの両の手をとって握りました。「注意なさい。きっと妃は魔女です」
 そう言いました。
 メリサはもう子どもではありませんでした。ええ。もう子どもでは・・・・



 やがてあどけなく可憐な日々がとおく過ぎました。
 軍服を着た王さまはいつになく上機嫌で立っています。明るい日ざしと春の匂いがそこにありました。
 妃とともに気品にみちた王女が部屋にあらわれると、それまでうしろ手にくんでいた腕をはずし、いくぶん貫禄をつけてみせるかのように髭に手をあてました。部屋じゅうに軍服を着た王さまの絵が飾られていました。王さまは一枚の白馬にまたがった自分自身の肖像画を見上げ、そのあと眼を横にずらして客間にとおされた妃と王女がふたりならんで席に就くのを見とどけました。
「さて」と、きりだして手をポンと打ちました。「麗しい! 王女、今日はなんとお美しいことか」
 妃もにこやかに王女を見ました。
「お褒めいただきましてありがとうございます」
 あくまで王女のしぐさでメリサは応えました。
 王さまは真紅のマントをひるがえし、
「うん」と、いちど大きく顔を頷かせました。「じつは王女・・・・」そう言って腕をまたうしろ手にすると、しばらく考え込んだようになり、やがて王女の向かいの席に腰をおろし話(はなし)はじめました、「御承知のとおり我がベネトリアン王国は近年、隣国ロマッタ王国の併合にひきつづいてボスカル、マガラ、ナンデジェッタの諸国をも勢力下におさめ、きわめて興隆華々しき国となった。残るタルシン、モナカイを手中にすれば偉大なるナナルの川の始まりから海に至るその終わりまですべて我がベネトリアン王国のものとなる。国の栄えは民の栄え。かつて巷に溢れていた浮浪者も今はもうなく・・・・」
 ここまでを王女は顔色ひとつ変えることなく聴きました。
「すこし前置きがながすぎるのでは?」
 妃は微笑みながら助言をいれました。
「そうか。ならば率直に」王さまは待機する召使いに言いました、「茶はまだなのか? それより・・・・大佐を呼べ」
 王女は微かに眉間をよせました。
 妃はすかさず、
「とてもよいお話です」と、あいかわらずの笑みをたたえて言いました。
 茶がはこばれて間もなく、召使いとともに大柄な男がやってきて傍らに立ちました。
「ドメル大佐じゃ」
 王さまがそう言うと男はさっと敬礼をし、
「マガラの戦いでは、わたくしが陣を率いました」
 一言添えました。
「ごくろう。座りなさい」
「はい」
 大佐は従順にしたがいました。
「余はこの男をひどく買っておる。やがては将軍になる男。いや、それどころか・・・・」
 そこで妃が眼を細めるように王さまにむけて合図をおくりました。
 王さまは口元で合図をかえし、「その、たとえば今後は余の手伝いを任せようとも考えておる。で、どうだろう? 余と妃、そして王女もそろってこの男を応援してやろうではないか。さて王女はいかがなものだろうか?」
 召使いが淹れたての茶を大佐の器に注ぎました。メリサはうつむき、
「はい」
 とだけ返事しました。
 王さまはたちまち大喜びなふりをし、
「ドメル君、王女も、君を応援してくださるそうだ!」
 大佐の肩をたたき、いくぶん仰け反りながらそう言いました。



 それから毎日、王女の部屋に大佐からの花束が運ばれました。召使いが花を届け、花たちは枯れる間もなくたちまち王女の部屋を埋めつくしました。花束にはいつもきまって「親愛なるメリサ王女」ではじまる簡単な手紙が添えてありました。手紙には、「今日はマガラ陥落の記念日です」とか「今日はパレードがあります」といった軍隊の出来事ばかりが書かれていました。
 メリサ王女は複雑な気持ちを侍従にだけそっと打ちあけました、
「迷惑です」
「よくわかります」
「男の人は皆こうなのですか?」
「人により千差万別・・・・でもこれは、いささかやりすぎですな」
「魔法をつかってもかまわないのだけど」と言いかけて、「いえ。どうしたら止まるでしょうか?」
「そうですね、王女の方からも手紙を書かれてみてはいかがでしょう?」
「わたくしから?」
「その・・・・つまり、手紙に一日ではけして解けない問いを書くのです」
「たとえば?」
「あなたの友人の生い立ちが知りたいのです、というのはいかがでしょう」
「ええ。それでゆきます」
 ところが大佐からまた花束が届き、そこに添えられた手紙には次のように記されておりました。
「親愛なる王女様 残念ながらわたしには友人がひとりもおりません。かつての友人たちは皆戦いで死にました」
 そこで侍従がふたたび、
「ではそのとき戦死したすべての兵士の名を知りたいというのはどうでしょうか? これなら暫くは手紙を書けますまい」
「はい。それでゆきます」
 ところが大佐からまた花束が届き、そこに添えられた手紙はいつもとは違ってかなり長い内容のものでした。
「親愛なる王女様 あの日のことはけして生涯忘れません。わたしは戦死したすべての兵士の記録を持っており、以下がその名前です・・・・」
 そこで侍従がふたたび、
「では相手の国の戦死者すべての名を尋ねましょう。・・・・今度こそ暫く手紙を書けますまい」
「それでゆきます」
 ところが大佐からまた花束が届き、そこに添えられた手紙は昨日よりもさらに長い内容で次のように記されておりました。
「親愛なる王女様 あの日のことはけして生涯忘れません。わたしは戦死したすべての兵士の記録および相手国側の戦死者の記録も持っており・・・・」
「なんて几帳面で馬鹿正直な人なのでしょう」
 メリサ王女は呆れはてたように言いました。そしてついにこう言いました、「わたくしが大佐にお逢いし、この口ではっきりと申し上げましょう」


散文(批評随筆小説等) 王女メリサ3 Copyright atsuchan69 2007-02-28 00:49:32
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