夜明け前 〜老婆の言霊〜
服部 剛
夜行列車の車窓。
夜明け前の雪国。
宙に舞う風雪。
山々の裏に潜む朝陽に
うっすらと浮かび上がる
ましろい雪原。
( 転寝の合間
( 車窓の外に離れて浮かぶ
( いくつかの夢のしゃぼん
( 一年前
( 自ら命を絶った老婆の
( 寂しく丸い後ろ姿
( 十日前
( 自宅に線香をあげに行った時
( 両手を合わせ、瞳を開けると
( 棺桶のなかから微笑した
( 老婆の痩せた寝顔
( 数日前
( 職場の老人ホームで
( いつも柔和な仏の顔をした
( 車椅子の老婆を介助するトイレのなかで
( 雪国へ旅に出る僕に
(「きたえるつもりでいってきなさい」
( 語りかけた嗄れ声
( そして
( いつの間にか忘れていた
( いくつかの節目
( 意気揚々と船出したあの日
( 自らの弱さに泣いた挫折の夜
山々の輪郭から
朝陽の光が漏れ始める夜明け前
ましろさを増してゆく雪原に
うっすらと消えかかる
いくつもの夢のしゃぼんから
老婆達の響いた言霊は
近頃
なかだるみでていたらくな
私に語りかける
( のびきったからだを、起こしなさい
( ほんとうの愛をつかまえなさい
腐った瞳のまま海に浮く
私は屍の魚
だった
弱々しく腐った魚の魂よ
翼を生やし、日常の海を翔べ
無表情な黒目に
細い血すじを、張り巡らせよ
( お前はこれから
( 日々出逢う一人ひとりに
( 四つ葉のクローバーを手渡す旅に出る
山々の上に、朝陽が昇った。
照らし出されたましろい世界。
姿を消した、いくつものしゃぼん。
( 夜明け前の老婆達の言霊
( あれは宙に舞う風雪の向こうに
( 淡くともる、灯火だった。
新たなる夜明け
列車は雪原に埋まる線路を貫くように
終着地へと加速する
一粒の熱い涙、頬を伝う。