無為自然、苦しみて、苦しむことなく。
生田 稔

「無為自然、苦しみて、苦しむこともなく」

 見渡すかぎりの畠また畠
単線の列車がこの田園の町にも、日に二回やってくる
沢山のトンネルをくぐって、昔は蒸気機関で
トンネルに近かずくとボーボーと
二回汽笛でおしえる
今日は見知らぬレデイが一人
朝方の列車でやってきた
中年を越して初老ぎみの女だが
さわやかな趣味のいい緑中心の服を着てる。

「あの方女優さんなのよ」
近頃は映画を観ないから忘れちゃったが、
「ありや、水島陽子て女優じゃないか」
彼女のことは、さっぱりわかっていないが、
どういう事情かわからないが、半裸にもならない堅物だとは
知っている、こんなところに何をしにきたんだ、
「水島陽子さんね、ずっと此処に、これから住まわれるんですって」
分教場の先生の奥さんが情報をつかんでた。
へー、こんな辺ぴなところじゃ、不便なのになー、水洗もガスもないし、
テレビもNHKだけで、民放はザーザー線がはいるしよ、
人は出て行くばっかり。「水島さんね、宗教にお入りになったとかよ、戦後めっきり有名になった急進的なキリスト教だってよ」と、
先生の奥さんはなおも教える、ヘー、まあいわば女ゴーギヤンてとこか、
都会と社交界に嫌気して、画家じゃなくて、キリスト教に身をお入れになった
のか。
夏は涼しいが、冬は雪が深く、寒い風吹く、この過疎の町で、キリスト教を
どうしようと云うのかと。申し遅れたが、我輩ついこの前まで岬の燈台守を
やっとったが、灯台は自動式になつて、辞めて年金も入るし妻は二年前亡くなって、
若い頃関心のあった文学でもやろうかと思っとる六十三歳の男ですがな。
名前は早田作造と申します。

詳しく聞くと、分教場の先生とこでお世話なさることになつとるらしい、
先生の奥さん、だから、いやに詳しい。俺も水島さんの映画一度も観たことないが
名前は知っている。遠めに見ても美人やということは判る。この年寄りばかりの田舎
町であのかたは何をなさるのかな。
気まぐれとでも言うのか、女優で美人でキリスト教で、女教師でもなさるのか。
キリスト教なら、バイブルに関係しとるはずやから、たしか一冊あるはずだ。


それから数日がすぎた。先生とこの女優さんのこと忘れかけていたが、この朝です。
六畳と四畳半と台所だけの古家を自分で修理して、私は住んでます。
戸口に人影がして、「ごめんください」と女の声がした。
誰やろうな、俺んとこには、女が来るいわれはないのやが、
「誰です。まだ朝の内から何の用ですか。」
「わたくし、水島という者です、一週間ほどまえからご近所の先生のところに、
泊めていただいていますが、今朝はクリスチアンの伝道奉仕でお伺いしました。」
「クリスチャンの伝道?そんなら、おたくさんはこの土地で伝道おばなさいます
のか」
「そうなのですよ。聖書の基礎を学ぶためのパンフレットをお読みください。
無償でおわかちしております。ぜひ如何ですか?」
「私も、聖書つまりバイブルですな、一冊持っとりまして、学生のとき誰かに
もろうたんですが、聖書は謎の書であって結局はなにを言うのか判らない本だって
友達がいうとったです。」
「ええ、聖書を本当に理解できた人は少ないのに、永遠のベストセラーともいわれて
もいるのですよ。世界中に二十億冊または三十億冊も頒布されていて千以上もの言語
に翻訳されています。約一人に一冊当りになるのではないでしょうか。」
「そういうことになりますな、私も一冊所有していますからね。それであなたは聖書
を私に教えてくださるのですか?」
「できれば、ぜひそうして差し上げたいのです。ここにある冊子おわたししますので
来週またお目にかかるまでに読んでおいてください」
「じゃあ、いただいておきます。お聞きしたいのですが。あなたは何故こんなところまで
きてキリスト伝道をはじめたいのですかね。」
「どこへ行っても目立つ身分ですので、中心から離れたところへ行きたいと考えまして、
こう決心するまで色々な事情がありまして、ご主人さま、でもこれからは女優の水島と
してではなく、一人のクリスチャン伝道者として扱ってくださいとお願いしたいのです」
「それはなんですがね。。じゃあこのパンフくわしく読んでおきます。誰かも言っていましたが人として生まれたら、ひも解いておくべきなのが聖書だとね。じゃあよろしくおねがいします」
「じゃあ必ず来週、この土曜日にお訪ねいたしますので」
彼女は丁寧に頭をさげて、戸をしめて去っていった。

私はまずパンフレットの題を目でおった。
「みょ、新しき地は訪れん」、そして表紙には地上に広がっている美しい楽園の絵
が描かれている。老い先短い私にとって、まず思ったのはこんな楽園が来るまで
生きてはいまい。でもとにかく目を通そう。
内容は聖書が一番古い宗教書で、最も広く頒布されており、モーセによってBC十六世紀
の末に記され始め,AD98年に使徒ヨハネによって締めくくられたという。
キリストによる贖い、アダムとエバによる罪の始まり、近い将来にキリストの再臨
による人類の救いがあるとのこと。とにかく真剣に聖書の内容を説明してある。

 一週間して、昼食を終え、NHKがやっと入るテレビで野球の試合を観ていると
「ごめんください」と女の声、ああそうそう水島さんがみえたのだ、ガラス障子をあけると家の汚い玄関にはふさわしくない、あの日と同じ緑のツーピースの彼女が楚々と立っておられる。
「いやー、水島さんですか、よくきてくださいましたね。いただいたパンフ読んどきましたが、聖書のことこれですっつかり解ったという気持ちです」
「読んでいただけましたの、嬉しいですわ。都会ならめったに、そんなかたには会えませんのよ。聖書はこのパンフレットだけですっかり理解できるものではないとわたくし
身をもって知りましたの、もっともっとお調べにならなければ、そのように思います。
いかがでしょうかご一緒にもっとおしらべになりません?」
「まあ、ご覧のとおり、年金生活で、暇はありますが、あなたはよろしいのですか」
「玄関先ででもお教えできたらよろしいのですが。」、
「聖書ねえ、聖書はいい本だとは思いますが、貴女のように一冊の聖書というもの
を説いて回る価値というか、やりがいがあるのですか。若いときある人が教えて
くれたのですが。「一日労苦して、飲み食いして楽しむ、そのほかに良きことはなし」と
キリストは教えたとか、本当ですか。」
「そのこと知っております。私しも入信して三年目でして、この夏バプテスマを
受けたばかりですので、偉そうなことはいえないのですよ。」
「では、貴女はなんのために、聖書を携えて、家を回られるのですか。」
「私し個人の意見はあまり言いたくはないのですよ。でもイエスのその言葉聖書で知った
たことはありますのよ。人には使命というものがありますでしょ」。
「神はあると思いますが、見たことはありませんし、もしみたらそれでおしまいですからね、そんなことは恐ろしいことです。わたしは神様とはおつき合いはできません。」
「もちろん、神は人間に現れたことはありませんのよ。聖書に神を見たと云い表されていますところも、ありますけれど、それは皆、御使いが仲介したのです。人は直接神を見ることはできませんわ。人間として神を見て接しられたのはイエスキリストだけなのです。聖書にはそのようにありますのよ。
 私自身、聖書を通して読んだことはありません。基礎がなくて読むと人間的思考でどうしても捕らえることになりますでしょ。教会から届く出版物から徐々に理解して、それから、一読するように、教えてもらいました。」
「でも貴女様は女優をばしておられて、有名なかたですんのに、このお仕事にば踏み切られたな、随分なご決心ですな。この近所の者は、きつとですな、みんなしっとるとでしょう。マスコミは騒がんとですか?」
「何かの宗教をするてことは、信教の自由てこともありますし、べつに醜聞とはちがいますから、ほかの方と同じように、あまり騒ぎということにはなりませんわ。」


 それから、毎土曜日彼女から聖書を教えてもらった。幼いときキリスト教の幼稚園に通ったので、わたしは好意的に学んだ。その小冊子を、質問と答えるというやりかたですっかりならうと、それは少々恥ずかしい方法だが、私は根が純情なのか、差しさわりはなかった。二ヶ月ぐらいで、わかりだした。
 「これで、だいたいのところは、お解りになりましたでしょう?それで、イエス様はマタイ伝の最後で弟子達に、述べ伝えなさいと、おつしゃっていますでしょ、貴方はどうお思いです。この次からは、もつとくわしく研究していただくため、この本を使います。」
 水島さんは茶色の二百ページぐらいの「神を真実としなさい」という表題の厚手の本をとりだした。
 そして、伝道活動に参加してみられましたら嬉しいのですが、といいだした。
戸ごとにパンフを配り説明して、要するに述べ伝えるに参加することだというのだ。
 このあたりの住人はみんな知った人ばかりで。仕事を辞めてから、家にばかりで、もっぱらテレビを観るだけの毎日、伝道して歩くとは勇気のいることだと思うが、女の水島さんが、女優を捨て、一切をすてて献身的クリスチアンになったのなら、この男の自分は?
と考えると、いやとは言えない、しりごみしたのではどうにもなるまい・・・・・・
心は惑ったが水島さんの勢いに惹かれてしり込みせずに
  「やってみます」と一言
「では、貴方との勉強は別の日にして、この土曜ごとに、午前中この辺りを、回られませんか、やり方は私と同じように、ただ聖書を知るように奨めればいいのです。」
 
 水島さんと聖書を学び始めたのは一九六x年十月はじめであった。そして伝道を始めたのは、この田舎でも何処からかジングルベルの聞こえるクリスマスの日であった。
(いま六十三歳の私がタイムトラベルして二十七歳の過去の私と入れ代わってい
るのである。つまり私は現在の中に過去を描出しているのである)
 長年の田舎暮らし、背広はなく、ブレーザーが一着、あとは防寒衣とかジャンパー
などだった。何かカバンをということで、昔から持っている革のバッグを一つ持って、
待っていた。

 田舎といっても列車が来るぐらいだから、数百軒の家はある、町の皆は山のお寺や、川向こうの神社などに関わっていて、キリスト教をどうこの町に居着かせるかは難しいことである。家の前で約束の九時に立つていたら、数分遅れて、横丁から水島さんがやはりカバンを持って現れた。今日も緑のツウピースだ。
 「お早うございます。では伝道に参りましょう。この区域はバラバラに家があります。もと居た所では、ブロックごとに、グルグル囲うようにして回り。そして次々と予定の区域を訪れていました。二時間か三時間伝道奉仕していましたのよ。でも、このあたりで、は方法を変えて、早田さんのお知り合いの家に行ってみたいと思うのですが?」
 「あー、さようですか。では伝道、伝道という大げさに構えてはどうも、まず先生のところ。あなたを世話なされておられる、分教場んところいつてみてはなどうですか?」 
 つまり、先生のところでゆっくり案をねってはということだ。

 分教場の先生は快く会ってくれた。
 「早田はん、あんたこの水島さんともう知り合いにならしたのか。今朝伝道にといいなはって、この方、いかれたが。第一号があんたというわけやね。
 水島さん、この早田も、もう年でね、伝道しても、そう頭にははいらんとおもうがね。
私は聖書は一回だけ読み通したがね。
 それじゃ早田はん、このかたと聖書勉強してみるか。聖書は西洋文明の根本というからね。お前はんは早稲田大を中退したのだったね。
 この者はね、早大二年のときに、神経衰弱で入院して、しばらくブラブラしておったんやが、ここの燈台守の仕事を世話してもろて、この地で二十三年暮らして居るので。六十二のとき奥さんを亡くして。このひとはね英文科に席おいとたが、話によるとちつとも学校いかなんで。英語だけ残ったいうとる。文学が好きやから、聖書もいいかも。
 ぼちぼち教えてもらうのやね。」
 「まあー、そうでしたの。英語の聖書もありますから、おもちしましょう。私、いま一人ですけど、もうすぐパートナーが来る予定です。野田綾子さんといいますけど、京都のかたです。このかたは、私より古くから教会にいらして、沢山知識のあるかたです。わたし映画界に疑問を抱いてクリスチャンになったと思われるかもしれませんが、そうじゃなく真理を知りたいと昔からおもってました。世界や人間の未来やなぞに満ちたこの世のことを知りたいと思っていました。三年間教えてくださる方と自分で勉強しました。学んでみて、こうおもいました。聖書に記されていることは、確かにしんりかもしれません。でも、それは神ご自身の独特のお考えと方法によって型をつけられたものではないかと。聖書といえば「神は愛である。」、「隣人を愛しなさい」、「もとめなさいそうすればあたえられます」、「敵を愛しなさい」、「迷える子羊の救い」、「心の貧しい人は幸いです」などは有名ですけれど、私が最もうなずいた教理は「贖い」です。ある人は、聖書は神のため書かれたといいます。現在でも、人間は何処にいても完全に幸福な人は一人としていません、人類の救いそれが最も私には身近に思えました。
 罪びとである人類の罪を消すこと、そして救いを与えること。これが私たちには必要なことです。パリサイ人やユダヤ人の多くは律法の取り決めを守っておればいいと考えていました。しかし、イエス・キリストは「遣わされた者を受け入れること、これが信仰ではないか」と、しかし彼らはイエスに信仰を持たずこれを十字架につけました。
 しかし、神はこの行いを「贖い」、つまり罪のない方が死に処せられること、それによつて生じた価値を人類が身にいただくことになさったのです。」
 「いろいろ、教えてもらわんならんようですな。じゃあ水島さん。早田はんとこで勉強ということでもなんやから。わしの家で勉強なさったらどうや。」と先生は気を利かせていってくれた。
 「では先生、空いている部屋で、勉強をさせていただけたら、嬉しいですわ。」
 
 それからわたしは聖書をもっと詳しく共に学び始めた。ギデオン書院発行の新約聖書マタイ伝一章一節「アブラハムの子イエス・キリストの系図・・・・・・」
という冒頭のことばを読み始めてから、いつも気が乗らず、ふたをしていた聖書。いまま
で二ヶ月、家の上がり口で、水島さんから貰った表紙にパラダイスの絵のある冊子から聖書の概略は知った。水島さんが貸してくれた旧新約聖書を使って、さらに聖書を探り始めた。
  
どうしても、これ以上ペンが進まぬ。無理もない、私は知っていることが多すぎて、その中から知らぬことを、ひねり出すのは確かに至難の業に違いない。水島陽子とは、ある女優をしていて、テレビの人気女優が辞めて聖書伝道者になった方が居られて、失礼ではあったがモデルにと試みたが失敗である。
 63歳のとき書き出したこの小説、いま私は67歳である。40年の間、私は聖書伝道者をしていたことになる。早田作造は、病院で知り合った人の名を借りた。2・3日前親戚のものをつれ、観光バスの中で、考え考えつつ、ちつとも進まぬこの小説どうしようかと。
 私が聖書を知ったのも、同じような経緯であつた。ただわたしは、偶然知ったのではなく、しきりに聖書を知りたい、キリスト教に接したいと考えていたところが、ちがうだけだ。聖書を本格的に学び、ヨブ記を3度も続けて読んだ。喜びが沸いた。こんな美しい話を聞いたことがなかった。幸福そのもののヨブが不幸のどん底になる、かれの3人の友は、彼の不幸はあなた自身のせいだと諭すが、ヨブは自分のように正しい者が、こんな境遇に陥るのは、不当だと主張し続ける。苦しみが大きくなって、ヨブは様ざまな無知の言葉をしゃべりだす。自分は神よりも正しいと言い出す。エリフという若者が、ヨブを咎める。エリフは言う、「正しいことは人自身を益し、悪いことは人自身を損ずる。全能者は人から何を受け取るであろうか。人は神に何を与えることができようか。」
 この言葉は、私にとって深い人生哲学を与えた。神に何を与えることができようか。なるほど、そうだ。みんな神のものだ、全部神が与えた。それで、スーッとして、私は軽々とそれから人生を歩みだした。まさに信仰いちじょの半生であった。
 
平坦な40年ではなかつたが、今でもクリスチャンである。先日親戚の者と登った比叡山の根本中堂、堂の中では若い僧が2人で叡山の歴史を説明する。話は信長焼き討ちに及んだ。堂を出てから一緒に居たものにつぶやいた、「明智光秀は焼打ちを命ぜられたとき、人が尊ぶものを尊しとすべきべきではないでしょうかと信長に諌言したのですよ。」
 家内の姉がニッコリ笑った。家内の義姉はしきりに祈り、供え物をした。美しい姿だと思った。キリスト教も仏教もあるものかと感じた。神は一人しか居ない。私たち人間は食うて、着てなんぼではないか。霧の立ち込める深山、聳え立つ堂宇、有り難いと手を合わす義姉。それで良いのではないか。
 わしらは阿呆やと、心の中でつぶやいた。馬鹿と阿呆の鬩ぎ合い、それが世界と人生である。そして、この小説の題を「無為自然」とした。老子は実在の人ではなかったという説もあるが、そうではなかろう、老子が居なかったなんて淋しいことだ。人は、シェークスピアもジンギスカンさえ居なかったことにしてしまう。
 若いころ読んだソ連の歴史教科書にはイエスも居なかったことになっている。わたしが卒業した奈良の大和の天理高等学校。私にとってこれほどなっかしい学校はない。そしてその宗教も懐かしい。「あしきをはろうて、たあすけたまえ、天理王の命」実に懐かしい唱え言葉である。学校に居たころは、どうやらこの唱え文句にけつまずいていた。あまりにも単純だからだ。
 しかしこの単純きわまるように思える唱え言葉は、唱えるとごりやくがあるという。伝道していて遭った天理教の布教師さんは、「私らはごりやくをいただいております。」だった。私ら聖書伝道者は現世のごりやくということを信じない。医者に薬に人の世話にもっぱら頼る。イエスがもう一度現れてから、奇跡が始まり、地上のパラダイスが訪れるというのである。どうも、40年も一つ宗教をすると、新鮮味が無くなるのか自分の宗教を非難しがちになるのかもしれない。
 聖書は8度読み通し、こまかく細分して研究した。聖書は真理という前に、事実であることを、はっきりと認める。事実だからどうしようもないのである。事実はそれ以外のものではない。パリサイ人もサドカイ人もこの事実につまずいてしまった。Dead truthに 人間はことに弱い。イエスはパリサイ・サドカイ両派そして金持ちやエリートに冷たかった。
 「金を持てる者の、天国にいりがたきこと。」とイエス・キリストは主張される。そして
「收税人や遊び女は先に神の国に入る」とも教えられた。ニイーチエはこの教えに対して
弱者の強者に対する復讐の宗教であると評した。聖書伝道者には金持ちもいるが、数は本当には少ないかもしれない。物質的、この世的という精神が嫌われる。しかし貧乏な人が優遇されるということもない。大学や高い教養もやや否定的である。     
 奇跡としては、神を求めて祈っていたところへ、ちょうど聖書伝道者がやってきたとか。自殺を決意していたら、聖書伝道者が訪れてくれた。そのようなことを奇跡といえば言える。輸血に関する拒否でも有名であるし、柔道や剣道の練習をすることを、体育の授業で拒否することで幾年も裁判沙汰になったことも新聞で報ぜられたこともある。
 戸別伝道をすることでも知られており、わたしも40年曲りなりにやってきた。神の王国を宣べ伝えるということが、聖書伝道者の最大の関心事である。とにかく神の権威以外のものには、相対的服従といい、国歌や国旗には参加はしないけれど、立ち上がって敬意をしめす。仏壇とか偶像には遠ざかるべきであり、花を捧げたり拝んでもならない。
 仏壇を焼いたりした人も居たが、現在はそこまでしないはずである。家から運び出すか、一切関与しないという方針である。悪霊に関するものを処分することも奨められ、他宗のものは全て汚れたものという考え方である。そのために憎まれることが多い。狭き門より入れという、イエス・キリストの教えに従い、反対されても迫害されても、集会つまり集まりあうことを止めない.
 だから、この世界にあるもの全てに否定的であり。ハルマゲドンという神の戦争によって、この世は滅びると聖書から悟ったという。最近はハルマゲドンが、2000年を過ぎても来ないというので、ハルマゲドンを聖書伝道者は本当に信じているかどうか疑わしい。
しかし、印刷物にははっきり今でもハルマゲドンは来ると記されている。私はハルマゲドンを信じるより、神を信じたほうが良いと考えるが如何に。
 その他、ほかのキリスト教に対する敵意が強く、そのためにそちらからも憎まれるのではないか。あなたの敵を愛しなさいとイエスも教えられたのだから、憎まれるようなことは言わないほうが良い。近頃、聖書伝道者はあまり憎まれていないかもしれない。我々の言うことにだれもとくに、強い関心を示す人は居ない。私たちは非常に個性的であったがいまや、それは表面的であって、いまや一っの平凡な宗教団体になろうとしている。
 それでよいのである、無心に神に祈る。この姿こそ尊いのではないか。家庭の平和、世界の平和、病気や犯罪のない世界。全ての宗教はそう望んでいる。かっては、エリート意識の強かった我々、考えてみれば、我々は世界一正しく清い宗教を目指していた。しかし19世紀末にできた、バプテスト教会やセブンスデイ教会その他もろもろのキリスト教とそうわ変わらないのではないか。そのほうが、気分が楽ではないか。
 玉葱の皮に色が付いて、臭いからいうのでドンドンはずしていったら、最後に何の味も匂いもしない白い細い芯だけが残ってしまったのである。聖書伝道者の子供達のなかで、信仰に忠実だつた若者を見ているとそんな感じを受ける。しかし、個人個人の聖書伝道者が、果たして白い細い玉葱の芯であろうか、それも大いに疑わしい。私自身は紛れもなない玉葱の芯である。煙草は吸わない、酒はほどほど、金には関係はなく、仕事は聖書伝道者、42歳まで独身、半生を王国伝道者として過ごした。楽しみといえば詩と短歌を書く、クラッシックのCDを聴く、散歩をする、読書をする。それぐらいのことだ。それでも聖書伝道者としては、あまり高い評価は受けていない。パート・タイムの仕事をし、正規開拓という一ヶ月70時間の奉仕活動を無報酬でし、集会に定期的に出席し、聖書の勉強を熱心にして、低姿勢で長老たちの気に入れば、その人もまた長老という立場に推挙されることになる。
 集まる人の人数が多くなると、奥さんの影響で入ったとかで、奉仕や集会で特に熱心な人が少なくなり、長老やその下で働く奉仕の僕に推挙される人が少なくなった。またそのような人々は無報酬で骨の折れる責任ある立場にはつきたくないと考えるのかもしれない。
 私は時間はあつたし、聖書は好きだったから、神と人に仕えるというイエス・キリストの教えに喜んで従った。確かに、金儲けをしなければならない人には、聖書の勉強に費やす時間と体力がないから聖書伝道者として活発に活動するのは無理である。それはそれでいいのである。とにかく、食うてなんぼ着てなんぼの時代である、地位の競争はどこの世界でもあるが、実にむなしい。30歳代でその長老の立場になって慣れぬ見知らぬ地で働いたが、信者の間にある競争と憎しみに少し悩まされたが、何もかも放り出した私にとって、それは意中外のことであった。酒でもいっぱい飲めば翌日は忘れた。
 しかし、世の中むっかしいもので地位にとことんこだわる人もあるようだ。特に、親が聖書伝道者で、その子というのがそれだ、特に女親が聖書伝道者である場合が多い。教会のヒエルラーキーを上ることを女親は子に願う.いずれの社会でもそれは同じである。必死に出世しようとする姿はクリスチャンの社会ではむなしい。それなら、将棋か碁でもやったほうが良い、まだいやな醜いものがなくてよいのではないか。
 しかし、なりたいものには成らせてやってはどうかとも思う、意思あるところには道ありで、やってみれば、そのむつかしさを思い知るのではないか。そして挫折して、またやり直せばよい、動機さえ良ければ、成功するかもしれない。もうだめだ、これ以上できないと感じること、人生では幾たびもある。単なるクリスチャンとして最低限の立場を保つことさえ、なかなか難しいのである。この夏は日本でも最高の暑さだったらしい。私はLying is happiness.ということで、殆んどの日々、日中は寝て暮らした。ただこれからのことの計画を練るのみであった。でも歌も作り、文章も綴ったから、何もしなかったわけではない。しかし、わずかの年金、上司も居ない私には、時間を有効に使う工夫がいる。
 アインシュタインも大学のキャンパスで寝転びながら空想したそうだ。それに習ったわけではないが、横たわって何かを考えていた。幾たびも、神にはその上が在るかどうかを考えさせられた。世では、特に宗教界や宇宙理論の中で最高のものとしてのファースト・コウズについてあいまいである。これが、誰であるかが論争の的である。この夏、その極めて難解なアポリアに解決がついた。まさに欣快のかぎりである。つまりこうだ、最上というものはあるにはある、だがその方でさえ、最高という自信があるわけではない、最高であることを証明してみてくださいといわれても、吾は神である吾の如き者なしとしか言いようがない.つまり自分以外のものは知らないのである。そして第一のものには始まりもなく終わりもないのである。それは確かに証明であるが、疑わしい人は、数学的確率をきっと提出するであろう。一つあるものには、さらにもう一つある可能性があるし、そうすれば無数にある必然性もある。これは神の自問に属する命題である。だから神様の永遠の過去から探してもないのであれば、それでいいのである。もし在るとしても、永遠の永遠乗倍の距離と空間を必要とする。ちいさな確率か大きな確率か、それは解らないが、永遠に存在しておられる方に、さらに仲間が居るのは神様にとって喜ばしいことではないか。
友ありて遠方より来るまた喜ばしからずやと孔子も言った。実にさわやかな言葉ではないか。ここまでで、私の当面の神に関する論及は終わった。とにかく、卑怯なようでも、食うてなんぼの我々である。
 物理学者のごとく抽象的公式を作ることは可能でも、霞を食って生きてはおれない。小鳥や犬も生きている私たちも生きようではないか。
 このことは、来年の夏でもさらに考えることにして今日はこれまで。      

 わたしは、もっと真実を語らねばならない。私は遠慮をしすぎている。
人生論、読書論、歴史、哲学、文学、語学、詩と詩論、などなど物理や数学などにも関心をもったこともある。振り返ってみるならば一千冊ぐらいの本を丹念に読んだかもしれない。苦しみにも十分過ぎるほど出会った。お前は楽しんだのだという人もある。俺たちのほうがもっと苦しんだのだとよく言われる。
 今も何故か心なのか心臓なのか良く判らないけれど、グーット苦しみが襲ってくる、しばらくすると、消えることもある。二十二歳で早稲田大学の文学部外国語学科英文専修に合格して、普通より四年も遅れて、さあ勉強だと東京の下宿で生活を始めたのは昭和三十三年の春だった。酒もタバコもやらぬ清い青年であったその頃の私だったが東京の街は勉強には向かない。
 大学の教科書を声を出して読み出すと、六畳の間をベニヤ板で囲って半分子にした部屋の隣の下宿人がブツブツ言うのが聞こえる。気になつて手がつかない。学校の授業はぜんぜん面白くない。体は三年にわたる浪人生活で弱り気味、ただ大学に入れたのが嬉しかった教科書を持って西大塚駅から都電に乗って早稲田車庫前までの二十分が夢のように嬉しかった。
 しみじみ幸福だった。弱冠二十二歳、十五、十六、十七と私の人生暗かった。五年の努力の果ての幸福、ジーットわたしは味わっていた。誰に遠慮もいらない、僕だけの幸福だった。

 実は僕は大江健三郎さんと同い年だ。入学してしばらくして、健三郎と開高健の二人の芥川賞受賞してすぐの講演が大隈講堂で催された。「一年前僕はこの会場でヤジルがわにいたのに今日は僕は、ヤジられる場所にいます。」とだけ大江さんは発言してから、ポーット上気してすぐに舞台裏に引っ込んでいった。
 開高さんのほうは落ち着き払って話をされたが、何を聞いたのか覚えていない。僕が京都の浄土寺西田町九十一番地の自宅でバートランド・ラッセルの「The conquest of happiness.」やギッシングの「The private papers of Henry Ryecroft.」・田中菊雄先生の「英語広文典」などなどをよみふけっていたころ、二人のうちの大江さんは大学四年生ですでに芥川賞をとって、私が早稲田に入ったころは一人前の作家であられた。不良少年が大学〔それも東大〕には言ってそれからというのは彼の小説「遅れてきた青年」のテーマではなかったか。早稲田ではあったが、おなじことが、この大江さんと向き合っていた私に起こっていた。
   
 それかからの私は悲惨な人生をたどったのである。東京都巣鴨区西大塚の下宿からその後二十七歳十月まで五年間、鉄格子と死の恐怖に耐えねばならなかった。その五年のことを、今の私は書き出すことができない。ただ簡単に記述しておこう。
 夏休みとなり、私は郷里の京都へ帰った。近所の人々がどうも様子が変だった。そうするうちに、噂が火を噴いた。不良少年が大学へ入りやがってということだった。そうして
常識では解せないことがおこった。頭の中へ声が聞こえてきたのである。「これが透心術だ」とその声は言う。「お前の心は全てわかっている。お前の過去を白状せよ」とその声は言う。
 そんなに極悪無道というほどの罪ではなかったが、小さな秘密を全部白状させられた。考えてみるに、僕の二十二歳までの悪事といえば、軽犯罪法にちょっぴり触れるぐらいのことだった。声の目的はこうだ。僕の全身全霊が伝わってくる。われわれは、耐えられないお前には死んでもらわなければならない。
 考え合わせれば、大学に入りやがってというのは、表面のきっかけぐらいの理由で、ぼくの全身全霊に耐えられないというのが真の理由であった。自殺を試みること数回、十七歳から発心した学問への道は意外なところへと曲がっていった。
 僕は自分が生まれたことを悔やんだ。こんなことになるのなら生まれてこなかったほうがよかったと幾度思ったことか。十七歳から二十七歳の十年は清い生活を目指した向上への年月であった。声から死を宣せられてからも、清さへの道はやまず。二十七歳からはクリスチャンの伝道者となった。
 ものみの塔聖書冊子協会、いまでは戸別伝道で有名になっているが、その頃は京都市
千本丸田町の幼稚園のホールを借りた小さな集まりであった。全部あわせても百人いるかいないかぐらいであった。
 この集会に交わったことから、わたしの新しい人生が始まる。
 
 内海福子さんと言った。最初に私の家を訪ねてくれて、聖書の手ほどきをしてくれたのは。大塚さんと言う人、この人も熱心そうなクリスチャンであった。その方と一緒に、再訪問といって、出版物、当時二百円であったが、「これは永遠の生命を意味する」という200頁の本を求めると、また訪れてきて、聖書の家庭研究をしてくれるというのだ。
 ふたっ返事で私は聖書研究に応じた。その日の、その頃のわたしは悩む人、苦しむ人であった。まず女性というものが私にとって厭な存在であった。自分の存在全体が相手に伝わっている。相手は私の心やすべてを知っていると思うと向かい合うのさえ厭であった。だが聖書は知りたかった。
 苦しんでいる私というものを内海さんは知ったのであろう。「不幸なときはヨブ記をよむといいです」と言ってくれて、自分の聖書を貸してくれた。日本聖書協会発行の文語訳旧新約聖書であった。
 その日から、次の週までもう一度内海さんは訪れることを約束してくれたから、三度ヨブ記を読んだ。感動的であった。なんという心温まる話であろう。読んでみたい方は、読まれるがよい、最初の部分だけ紹介しよう。
 「ウツの地にヨブという名の人がいた。その人はとがめがなく、廉直で、神を恐れ、悪から離れていた。そして、彼には七人の息子と三人の娘が生まれた。それに、その畜類は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百対、雌ろば五百頭で、それと共に非常に大勢の僕の一団を持っていた。それで、この人はすべての東洋人のうちで最も大いなる者であった
 そして、その息子たちは行って、自分の日に各々の家で宴会を催し人をやって、その三人の姉妹をも招いて一緒に食べたり飲んだりした。そして、宴会の日が一回り巡るとヨブは人をやって彼らを神聖なものとするのであった。彼は朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって焼燔の犠牲を捧げた。・・・・・中略・・・・・・・・さて、まことの神の子らが入って来てエホバの前に立つ日となった。サタンも彼らのただ中にはいった。
 そこで、エホバはサタンに言われた、「あなたはどこから来たのか」。するとサタンはエホバに答えて言った、「地を行き巡り、そこを歩いて回ってきました」。すると、エホバはまたサタンに言われた、「あなたはわたしの僕ヨブに心を留めたか。地上には彼のような人、とがめがなく、廉直で、神を恐れ、悪から離れている人はひとりもいないのだが」。するとサタンはエホバに答えて言った、「ヨブはただいたずらに神を恐れたのでしょうか。あなたが、彼とその家と彼の持っているすべてのものとの周りにくまなく垣を巡らされたではありませんか。彼の手の業をあなたは祝福されたので、その畜類は地にふえひろがりました。しかし逆に、どうか、あなたの手をだして、彼の持っているすべてのものに触れて、果たして彼が、それもあなたの顔に向かってあなたを呪わないかどうかを見てください。」
 それゆえエホバはサタンに言われた、「見よ、彼の持っているいるものはみな、あなたの手中にある。ただ彼の身に対しては、あなたの手を出してはならない!」そこでサタンはエホバのみ前から出て行った。」
 ヨブこそいい迷惑である。しかし、この42章におよぶ約一年間の論争の記録はいまのわたしにとって、言うにいえない気持ちになる。考えてみるに、エホバの挑戦とサタンの応戦は、どうでもいいようなことではないか。聖書によると、サタンはエホバに捧げられている崇拝を自分のほうに向けて天国を自分のものにしたかったのだと聖書に記されてい
るというのであるが、たしかにそれらしき記述は記載されている。すべては神から出たということであれば、サタンは何処から出たのであろう。ヤコブの手紙一章十三節にはこうある。「試練に遭うとき、だれも、『私は神から試練をうけている』といってはなりません。悪い事柄で神が試練に遭うことはありえませんし、そのようにしてご自身が誰かに試練を与えることもないからです。」 
 ではこれは屁理屈であろうか?。
そうであるとすれば、大変なことである、かく多くの人が命をかけて数千年守り保護してきた聖書が屁理屈を含んでいるということになる。では神が不義であられるということになるのであろうか。「断じてそのようなことはない」とパウロは述べる。皆さんは天国があることや、神の存在を信じておられるだろうか。ある統計によると世界の90%の人々が神の存在することを信じているということである。
 或る時、私は神に祈ってこれから世界はどうなっていくのでしょうかと尋ねて聖書を開くと、イザヤ書十九章が示された。そこには兄弟同士殺しあっているこの世界が平和な一つに結ばれた国際社会になることが書かれていた。神が偽らぬ方であるためには、わたしはこのことを書き留めておかねばならない。いまEUというものができてヨーロッパが一つになつたことはまことに喜ばしいことである。アフリカも連合しようとしている。しかし、2・3日前みたBBCのテレビ・ニュースではコンゴ共和国でこの数年間に三百万の人が虐殺されてきたということである。そして、毎年三千人のひとがやはり虐殺されているということである。これも私の記憶違いで毎月三千人であつたかもしれない。驚くべき数字である。拉致問題で日本は大騒ぎである。連日数人の生死とその行方を調べている。これでよいと私は思う。神は雀一羽でさえ御心でなければ地に落ちさせることはないと、イエスは言われた。一人の滅ぶことは万人の滅ぶことと考えなければならない。
 自分が死ぬということを考えて。今私は、胸苦しく暗い気持ちになる。神に仕え、善良を愛し同情と憐れみを愛でた私の一生であつたのに。いや私は死なない。世界が平和になって、殺しあう人が一人もいなくなるまで、私は生きてその結末や結果を見るまでは、私は決して死なない。ただただそう思うだけだ。
 このようなことを言うのは気がひけるのだが、今人々はすべて天国に入っているという人々がいるのだ。先頃私は「遅れてきた少年の一切合財」という詩の形を取ったリポートを書いた。そして、それを診察を受けている病院のカウンセラーをしてくださっている女性心理学師の方に手渡しておいた。それは九州八幡市で生まれてから三十三歳で神に会うまでの手短な記録文である。この記録には書いておいて良いと思われることだけを書いておいた。書いては差しさわりがあり、良俗に反するようなことさえある。
 もうこれでよい。これ以上書いても無駄である。人々は天国に入っており、私も入らねばならない。神が私に親切をしてくださることを切に望みつつ、掴筆さしていただく。
二千二年十月十日午後二時四十分。
 
 


散文(批評随筆小説等) 無為自然、苦しみて、苦しむことなく。 Copyright 生田 稔 2007-01-26 12:58:25
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