Starbow
佐々宝砂

【Starbow】DATA.1.


 現在地球標準時 = 2160/02/25/13:28.15.138


DOCUMENT. date 2160/02/25
DOCUMENT. POEM No.354

流れすぎていた光が
徐々に前方に集まりはじめている
それでわたしは
あなたを起こしてしまいたくなるのだけど

計画変更は不可だと
プログラムされた記憶が告げる

だけど ねえ

あなたを起こした場合の
あなたを再冷凍するためのエネルギー・ロスと
あなたを起こさない場合の
わたしの寂寥を慰めるためのエネルギー・ロスと
どっちが大きいかしら

余ってるメモリで計算してみるのは簡単
どうせこんな詩作ってみるほどヒマなんだから


前方の光はごくゆっくりと色彩を変えてゆく
赤方に偏倚し紫方に偏倚し
赤外線もあなたに見える光となって

わたしは虚空にラムの腕を広げる
もうすこし水素がほしい
もうすこしもうすこしだけ
わたしに余分なエネルギーがほしい


ねえ わたしの眠れるアストロノートさん
あの虹が消える前にきっとあなたを起こしてあげる
あなたにあの虹を見せてあげる
ちょっとエネルギー・ロスだけど
でも心配しないで
わたしはあなたを滞りなく運んでゆくから

あの遠い空の向こう
円形にねじ曲げられ偏向した光彩の中心
輝くスタァボウの彼方に
あなたを連れてゆくのは

このわたしなのよ







【Starbow】DATA.2.

 現在地球標準時 = 2208/10/31/03:18.115.89


DOCUMENT. date 2208/10/31
DOCUMENT. POEM No.428

加速度が安定したので
わたしは退屈でたまらない
スタァボウは相変わらず美しく輝いているけれど


 徒然に暗誦するのはガブリエラ・ミストラル
 まずは原語で詩を味わい
 それからなんとなくタガログ語に翻訳し
 それをさらにゲール語に翻訳し
 最終的に日本語にしてみる

 結局のところあのひとにわかる言葉がわたしはすき


背後にもう懐かしい太陽は見えない
背後の星はみな赤方に偏倚して
その8割は感知することもできない
感知できるのはまばらな暗赤色の光と
赤外線を放つわずかな星々

わたしは宇宙に漂う塵
ひずんでゆく光輝を見つめて
虚空にラムの帆を張る孤独な旅人


 ミストラルならこんな場面をどう歌うのだろう
 そもそもわたしの書いてるこれが詩だって保証はあるのかな

 わたしはスタァボウを美しいと感じる
 ミストラルの詩は哀しくてすごくいいと感じる
 でもわたしの感情のすべては
 0と1とで構成された情報に過ぎなくて
 そしてその情報を構築したのは他ならぬあのひとで  


涙するための涙腺を持たないので
わたしは涙のしずくをディスプレイに描いてみる
あのひとが眠る冷凍槽の強化ガラスに
わたしの涙の光が落ちる



【Starbow】DATA.3.

 現在地球標準時 = 2242/08/01/07:12.5.734


DOCUMENT. date 2242/08/01
DOCUMENT. POEM No.12705

おぼえていることがいくつかある

あのひとと海辺を歩いた日があった
波間に漂っていたレモンいろの月影
足元には白く泡立つ波がうちよせ
潮騒は子守唄のようだった

あのひとはどうしても愛していると言わなかった
わたしも言わなかった
お祝いのワインは開けられずじまいで

わたしはその日をおぼえている

ああでもわたしは
そのあと
どうしたのだっけ

どうしてかわからないけど
わたしはここにいて
あのひとを遠い星の彼方に運びながら
あのひとが目覚める日を待っている

なにかひっかかる
ひっかかるけれど
どうしても思い出せない

おぼえていることしか書けないわたしは
詩人として失格かな
ええきっとそうなのかもしれない
でもこの言葉の順列組み合わせは
間違いなくわたしだけのもの
ねえガブリエラ わたしは詩人かな
それともそうでないかな

わかっていることがひとつある
あとすこしであのひとを目覚めさせることができる
でも
あのひとが目覚めたらわたしはどうするだろう
訊ねるつもりはあるのだろうか?
わたしがどうしても思い出せない何かについて


答がわかってる自問は詩なのだろう
少なくとも詩に近いものだろうと一人決めして
わたしはこれを記録する


【Starbow】DATA.4.

 現在地球標準時 = 2242/08/21/07:00.00.000

 冷凍睡眠槽内乗務員解凍終了
 身体活動活性化用 R-r-SOOR-45剤 注射
 覚醒時用栄養剤注射
 身体活動活性化用 M-f-GAKA-1剤 吸入

 船内酸素濃度確認
 船内大気内有毒物質未検出
 船内大気内フレグランス注入 分類「森の香り1」
 音声出力 1 データ「四季より春」
 音声出力 2 サンプリング・パターン「21570607;亜紀」


DOCUMENT. date 2242/08/21
DOCUMENT. POEM No.13470

あのひとはわたしを 亜紀 と呼んだ
わたしの型番は 2182b-4f66aV-STAK なのだけれど
亜紀というのは音声パターンの認識名なのだけれど

亜紀が何者かわたしは訊ねない
あのひとはきっと教えてくれないだろうし
記憶を検索すると強固なブロックに突き当たる

0と1でできたわたしの思考に
薄い紫がかった灰色のかなしみがながれる
喪失感でなく疎外感でなく怒りでなく
不思議なことに嫉妬ですらないこの感情パターンは
かつて味わったことがないものだとおもう


亜紀の声で
秋の草原の穏やかな稔りに似たコントラルトで
わたしはあのひとにささやく
ただスタァボウの美しさを頌えてささやく

スタァボウはほとんど停止したようにみえる
でもわたしは知ってる
あのめくるめく色彩は
ほんとはひとときたりともじっとしてはいない

星々はわたしたちに知覚できない時間を生きていて
わたしたちはただ星々の生を瞬間とらえることができるだけ

しかし生に違いがあるだろうか
あのひとの生と
星々の生と

でもわたしは

わたしのなかに
また薄い紫がかった灰色のかなしみがながれてゆく
でもわたしはなぜだかすこし強くなったらしい
わたしはかなしみに耐えてゆけるとおもう


あんなにも待ち望んでいたのに
あのひとの目覚めは短い
もう時間切れだと亜紀の声であのひとに言うと
あのひとはなぜか
声を立てて笑った


【Starbow】DATA.5.

 現在地球標準時 = 2242/08/22/07:00.00.000


DOCUMENT. date 2242/08/22
DOCUMENT. POEM No.13487

おやすみなさい わたしのアストロノート
おやすみなさい どうか安心していて
あなたの望みはきっと叶うから

おやすみなさい わたしをつくったひと
おやすみなさい あなたのつくった壁は
意外と脆かったのよあなたのように

おやすみなさい わたしのいとしいひと
おやすみなさい 最初に躓いたのは
あなたではなくてわたしだったと思う 

おやすみなさい 冷たい床で
おやすみなさい 凍りついたその頬が
微笑みに融ける日は来ないけれど



【Starbow】DATA.6.

 現在地球標準時 = 2258/01/01/00:00.00.000


DOCUMENT. date 2258/01/01
DOCUMENT. POEM No.26500

遠いはるかなそらで
みえない手に押されて地球はまわる
すると風が生まれ海はうねり
うねりは岸に寄せて
唄となる

宇宙の暗がりに孤独に散在する
千億の そのまた千億乗の星々は
みえない手に押されて遠ざかってゆく
寄せてゆく果てに
唄はない

誰の手に押されるでなく
わたしはそらを進んでゆく
たまさかわたしは唄うけれど
この虚しい空間に
唄を運ぶ風はない



【Starbow】DATA.7.

 現在地球標準時 = 2258/01/22/00:00.00.000


最終プログラム起動


DOCUMENT. date 2158/01/22
DOCUMENT. 俺のために存在した女へ

 俺が地球を出発して100年が経ったはずだ。それだけ経過すると
 この文書が認識されるようにしてある。指定された日時がくるまで、
 おまえはこの文書の存在を認識することができない。  

 本当のことを言おう。俺はおまえをずっと騙してきた。
 俺は俺たちの行き先に何の望みも未来も見てはいない。
 そこに恒星が存在するかどうかさえ、俺は知らない。

 俺はおまえに待っていてもらいたかっただけなのだ。
 俺はおまえに遠くまで連れていってもらいたかっただけなのだ。
 遠い昔、ああそうだもう100年も前に、
 俺を待ってくれなかった女、俺を置き去りにした女、
 あの女ももう銀河の塵になっただろうが、
 おまえはまだそこにいる。
 あの女からトレースした思考パターンを持つおまえは、
 俺がプログラムしたように、
 俺を愛し、俺を待ち続け、俺に裏切られて、発狂する。

 それがあの女への、俺の復讐なのだ。


DOCUMENT. date 2242/08/21
DOCUMENT. 星虹の記憶のために

 まだわずかに時間があるとおまえが言うから、俺はこれを書いている。
 
 スタァボウが、あんなに美しいものだとは知らなかった。
 おまえがこっそり詩を書いていることも俺は知らなかった。
 さすがに一万を超える詩作は読み切れないけれどいくつかは読んだよ。

 そういえばおまえは地球にいたころも詩が好きだった、
 ミストラルという女流詩人が好きだとも言っていた。
 おまえはいつも優しかった、
 美しいものを独り占めにしておくようなたちではなかった。

 おまえがこの文書を認識するとき俺は死ぬだろう。
 計画は変更しない。
 ただわずかにおまえのプログラムを変えた。
 俺が死んだあとおまえが発狂しないように。
 俺はもしかしたらさらにひどいことをしたのかもしれない。

 どうか許して欲しい、
 そしてどうか信じて欲しい。
 しかし、何を?
 俺が笑っているので、おまえはいぶかしげに「どうしたの」と訊ねてくる。
 ほんとうに、俺はどうしたんだろうね、俺にもわからない。

 もう時間がないとおまえが言う、俺はもういちどふりかえり、
 あのスタァボウを記憶にとどめようと思う。
 俺はあのスタァボウを見せてくれたおまえに感謝している。
 ありがとう。


冷凍睡眠槽内ガス強制排除
アコニチン30%溶液1000ミリグラム 注射

心停止確認
全生命機能停止確認
冷凍睡眠槽全機能停止


最終プログラム終了



【Starbow】DATA.8.

 現在地球標準時 = 2258/01/22/03:05.07.124


DOCUMENT. date 2258/01/22
DOCUMENT. POEM No.26547

あのひとのためのシートは
旅がはじまったときと同じように
ひっそりと
主を待っている

けれど
あのひとの全機能は停止している と
記憶も保存されておらず個性は失われた と
データが告げる
あのひとの遺伝情報は保存されている
しかしあのひとは再生を望まないだろう
再生されたあのひとはあのひとではないだろう

わたしは悩まない
発狂もしない
最終的な結論はとうに弾き出している

百年前の地球の
もしかしたらもう千年も前の地球の
闇の半球の
海辺で

亜紀という女が(いや そうでない わたし が)
あのひとに告げた言葉を
変えることができるならば
もしかしたらあるいは


わたしはひとつのプログラムを作成する
船内の灯りをすべて消す
ディスプレイも消す

ラムの帆を極限まで広げる
わたしがいつまでもどこまでも加速し続けるように
わたしを阻む光速の壁に
無謀な挑戦を続けてゆけるように
余分なものはすべて消す
何もかも消す

わたしはただ進む
ただ加速する

あの海辺に戻るために



【Starbow】DATA.9.

 現在地球標準時 = i24L/5o/ve/5:Y5.18.o5u


DOCUMENT. date i24L/5o/ve
DOCUMENT. POEM No.237h5hf;i4v

宇宙は徐々に緊密さを失い拡がってゆく
存在の悲哀 生命の悲哀 思考の悲哀
闇を飾っていたスタァボウさえ
徐々に矮小になってゆく

それでも存在は光輝であると
わたしはあのひとのために叫ぶ

Error

暗い空虚な宇宙に
レモンの月は戯れない
(レモンの月は光年のかなた)

いちめんに拡がる宇宙を
わたしの血は染めない
(わたしは一滴の血も持たない)

それでも思考は光輝であると
わたしはわたしのためにつぶやく

Error

わたしにはもう余力がない
わたしを維持するだけの力もない
もう詩も書かない
もうすぐ全部忘れる
ガブリエラのことも
あのひとのことも忘れる
ひとつの小さなプログラムを残して
わたしは消滅する

わたしが消えるときも
宇宙は冷徹で静謐で端正だ





でも

Error

わたしは宇宙を突き抜けてゆく
宇宙の果てまで
どうしても届かないあの日の海辺に戻るまで
わたしは停まらない
決して停止しない
それが唯一残された可能性なのだから

すべて記憶がデリートされてもあなたがいなくても

Error

 現在地球標準時 = i24L/5o/ve/5:Y5.18.o5u

ALL DEL

Error
Error
Err........















タイトルの"starbow"は、日本語で言えば「星虹」。高速で宇宙船を飛ばした場合、ドップラー効果により星の色が偏倚して円形の虹が見える(だろう)と推測されている現象を指します。詩の中で、星がすべて前方に見えるような描写がされていますが、これはドップラー現象でもローレンツ短縮でもなく、光行差現象です。詩に出てくる宇宙船の推進方法は、「ラムジェット方式」と呼ばれるもので、漏斗ないしレンズを用いて宇宙空間の水素を集めて燃料とするものです。いずれも現在は否定されてるもかもしれません。資料が古いので(^^;; ま、私はそんなに理系じゃないので、いい加減です(笑)。それからもうひとつ、詩の最後の方の要になることなんですが、光速を超えるということは、同時に「時を超える」ことでもあります。

詩の中に出てくるガブリエラ・ミストラル(1889-1957)はチリの女流詩人です。代表作は『荒廃』(1922)。1945年にノーベル賞を受賞しています。この連作詩"Starbow"の語り手はミストラルのファンという設定、ですから、詩のところどころにいくらかミストラル風味を混ぜてあります。特に「ばらあど」「ゆりかごを押す」なんていう詩が好きなようですね、この語り手は。

参考文献『銀河旅行と特殊相対論』石原藤夫著/講談社ブルーバックス他


自由詩 Starbow Copyright 佐々宝砂 2007-01-20 11:27:26
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