視覚詩のお勉強 ステファヌ・マラルメの詩について/ふるる
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 佐々宝砂 
- いとう 
細かいツッコミで恐縮ですが、
コンクリートポエトリーは具体詩と訳されます。
ちなみに視覚詩はビジュアルポエトリーです。
- みつべえ 
岩波文庫「マラルメ詩集」は、私の青春の愛読書の一冊でした。
- 岡部淳太郎 
- るか 
- PULL. 
- 砂木 
マラルメさんは ちゃんと 読んだことないけど
若い頃 でたらめに音をいっていくと
なぜか 同じ音やふしや まとまりがでてくるのを
不思議に思いました。言葉って 音のまとまりだし。
みなくても 経験した音で 風とか足音ってわかる
意味がわからなくても 音で伝わったら素敵だね。
にほんごは あ に い で あい。で に あ に い で
であい。あいであ。あいである。数音で意味が違う。
どこまでも 変化する。他所のお国もそうなのかな。
またねっ。
- 杉菜 晃 
>マラルメは自己の虚無感にさいなまれ
これですね。人間の不幸は。次何にいくか考えて読ませて
いただきます。ありがとうございました。
- 氷水蒸流 
ふるるさんは要点を押さえるのが上手いなあと思いました。
自分の場合、詩を連ねた言葉が感覚に訴える強さは、
音、リズム>言葉から想起されるイメージ>字面
です。そして余白はその全てに関わっていて全くの謎です。
言葉で何かを置いていくように書くのではなくて、余白を区切るように、傷つけるように書いてみようかと、ふと思いました。
- ryinx 
 
作者より:
ライタさま、ありがとうございました。
佐々さん、ありがとうございました。
いとう様、ご指摘をありがとうございました。訂正いたしました。
みつべえ様、ありがとうございました。おお、青春の・・・
岡部淳太郎さん、ありがとうございました。
こんびにてんいん様、ありがとうございました。
PULL.さま、ありがとうございました。
砂ちゃんありがとう。
VLVさま、ありがとうございました。「も」かわいらしいですね^^

あをのさん、コメントとご指摘をありがとうございました。
マラルメが虚無感に悩まされていたというのはあちらこちらに書いてありました。それと、詩が、どのへんで繋がっているのか、それは分かるような分からないような感じなので、今は書けません。(その時代やフランスの文化や哲学を知らないと何とも言えないと思うので・・・)
ご指摘の通り、単につまんねーな。というよりは、もっと深いものだったとは思うのですが・・・。
簡単に書きすぎましたね。つながってるという、「またの機会」を切望いたします!!

あと、マラルメの悩みは人為的どうとかとは関係ないんですかー。マラルメの書いた、
「純粋詩は、その形式と無縁のところから出てくる個人的な声というものを含むべきものではない(詩の危機)」、というのと「マラルメの本とは、日常のリファレンシャルな言語を「純粋記号」に置き換え、そうした純粋な記号が自動的に組み合わせと関係を作り出すべきことを言った・・・」とか、偶然を排して、という言及があったので、人為的なものから逃れたかったのかな、と思ったのですが、人為的どうこうというよりも、個人的なことを述べるべきじゃない、個人の好みで書くべきじゃないってことなのでしょうか。それともちょっと違うかな。やっぱり虚無感・・・うーん、どうしよう・・・。

昔のエッセイですか。読んでみますね。どれでしょうか・・・。

二回目ありがとうございます。
個人の声を排除するについて、分かりやすいご返答をありがとうございました。
ブランショの書いたという、「文学作品のなかに、言語が、そこではまだ、何の力も持たぬ関係であるような場所を、いっさいの主人性や隷属性と無縁な裸形の関係の言語であるような場所を、回復すべく試みなければならぬ」とう表現に近いような気がします。
つけたし・・・
サイバネティクスという言葉は、今回初めて知ったのですが、あるサイトで見たものに、サイバネティクスは技術論の他に哲学的な意味もあり、「哲学的には人類が将来の方向を決定するにあたって、タブー・神・国家・科学・論理などに絶対的に依拠しえなくなった今日、自らが自らの価値基準をつくる主体的な人類としての自己統御能力以外に何物も頼りうるもののないことをサイバネティックスは教えている。」という説明が驚きでした。

エッセイは・・・忘れます(笑)

遮蔽装置さま、コメントをありがとうございました。
「神の死」ですか。ニーチェの。神様のお陰じゃなくて、神様のためじゃなくて、自分で自分の幸せを見つけようよ、というやつだったと記憶しています。
それは当時の人にとっては(今も)大変なことだったのでしょうね。
ちくま文庫、探してみます。^^

杉菜 晃さま、ありがとうございました。
虚無感は、世紀末によくある世相だそうですが、マラルメはそれをとことん突き詰めて、
言葉を音楽のように作曲(詩)していく、それが虚無感をしばし忘れさせてくれたのかもしれません。
シャーロット&さま、ありがとうございました。
---2007/08/12 12:00追記---

氷水蒸流さま

要点だけで、ほとんど自分用のメモのようになってしまいましたが、読んでいただいて、
ありがとうございます。
>>音、リズム>言葉から想起されるイメージ>字面
>>です。そして余白はその全てに関わっていて全くの謎です。

余白は休符や白、とも捕らえられているのですね。その方が、より味わい深く読めますよね。
>言葉で何かを置いていくように書くのではなくて、余白を区切るように、傷つけるよう>に書いてみようかと、ふと思いました。

是非、読んで(見て、聴いて)みたいです!


砂ちゃん

たくさん書いていてくれたのね。ごめんなさーい。
なんかね、フランス語はしゃべるだけでもう詩なんだって。ほんとかいな。
日本語は英語などに比べてすごく音数が少ないから地味ともいえるけど、適当に音を
くっつけてもすぐ意味のある言葉になるってところが強みでもあり、無意味な言葉を
作るのがすごく難しいのもあり、ですね。

訂正履歴:
コンクリートポエトリー(視覚詩)→(具体詩)06-2-1 18:19

Home
コメント更新ログ