視覚詩についてのお勉強/ふるる
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- いとう 
方法詩は「方法」に詩情を求めるものなので、読んでもよくわかりません(笑)。
つか、読むことに意義を見出していないと思う。
松井茂の純粋詩もその部類です。

あと、コンクリートポエムには音響詩ってのもあって、一度“読んで”みたいです。

んで、「終焉」とありますが、たぶんそれは終焉ではなく、
文字(あるいは言葉)から離れていったのだと思います。


ちょっと追記:
以前、方法詩に詳しい詩人さんと話したことがあるのですが、
「方法」を求めるなかで、
そこに「人」の手が入るべきかどうかという命題があるのですね。
極端に言えば、「方法」のみを求めるならば、
そこに人が必要かどうか、逆に言えば、
その「方法」を行う人間(あるいは詩人)が必要なのかどうか。
そういう議論があって、
方法詩を行ってる詩人の中でも、意見が割れてるそうです。
- 岡部淳太郎 
- 角田寿星 
サンキュー。勉強になりました。
- 佐々宝砂 
- 長谷川智子 
- 伊月りさ 
- るるりら 
 
作者より:
いとうさん、ありがとうございます!!
なるほど、「方法」を見てよってことなんですね。その「方法」が明記してあったらよかったのですが・・・。(してあったのかな??)それとも、数学に強い人だったらわかるようなしかけがあるのかな??しかけがあったら意味無いのか・・・。

音響詩ですか。ヴィジュアルポエトリーで外国のものを検索すると、音と映像と文字の詩というので動画が出てきますが、あれのことかしら。

「終焉」ではないのですね。よく読んでから、訂正します。

追記について*
「人」の手が入らない・・・機械に勝手にやってもらうと。でも機械は、プログラミングしたり、その機械を作ってるのは人だから、結局は人の手によるものという気がします。
いっそサルとか雨粒とかに作らせたら、それはそれで人の手を離れたということに意味をもつアートになりうるのかも・・・。だけどそんなの、自然界を見たら全部人の手によらないアートですものね・・・・。
私は人の手が入った方がいいなあと思います。

岡部さん、ありがとうございました。
関根悠介さま、ありがとうございました。
詩の定義って定まっていないからいいのかなあなんて思います。きっと、時代によっても変わると思うし。
読者さま、コメントをありがとうございました。
リンクと、現代詩手帖を読んでみます。(^^)
かの寿星さま、ありがとうございました。
佐々さん、ありがとうございました。

訂正履歴:
現在、視覚詩が発表されている詩誌をつけ加えました05-11-16 11:46

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