祈鳴/あらい
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 洗貝新 

聴覚障害者が想像に聴いた音声の様子を、感覚に溺れるように浮かべて読みました。けれども

以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 菊西 夕座
「産声よりもあさいチケット」をもって、地層や水層、空層を旅して、生命が物質(あるいは波長のような存在)との境界をぎりぎりで超えないようにジグザグしながら、湿った体内を巡っているような印象を受けました。瞼じみた卵の殻の裏側の目のめまぐるしいうごきといった感じでしょうか。

だいぶ崩しているようですが、一貫して品性は保たれていると思います。
 
作者より:
コメント、1見解、ありがとうございます。嬉しく思います

崩して”いる”というか積み上げる”気”がない、そういう意味で品性が保たれている、と。品として、この詩の1篇の姿ってところでしょうか。作者なりに今「産声よりもあさいチケット」をフックにすると「そうか。」と断定のように見えますから「しらない!(声のない、 匙をまきちらす『蒼い』くちを縫われ、」とあるので、”鳴”ことは無言の”祈”だろうなと解釈できますかね。そこまでのコウテイが、”迷い”としてジグザグしている。と確かに見えてきます。常々自分でも何書いているかわかってないので。ただの1見解としてあること。これは二ヶ月前に書いたもので。ようは、作者の答えではなく。今の自分を鏡のように映し出す、と、だいぶ面白いものだなとおもいます。型にハマっていて硬いですけど
---2025/07/15 16:44追記---

なにかしら紐づかないと意味も感覚も取ることは難しいことは承知で、だいぶ曖昧に書いているので、まだまだってかんじですね。精進します。

お読みいただきありがとうございます。

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