再び抒情詩の時代へ/岡部淳太郎
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 洗貝新 

あなたの主張には概ね賛同できます。眼で味わい耳で聴く。または眼で聞き耳で味わう。そのどちらもかけ離れてしまっては人前で読み聞かせるという朗読もつまらないですね。その点谷川俊太郎氏の朗読にはその両方が備わっていた。つまり、はやい話し醸し出される言葉に巡りゆく感情が起伏に揺さぶられるのです。音楽という形態を重要視されてもいい詩人はたくさんいますね。その代表格が米津玄師でしょう。無視はできないと思う。直接耳で味わう朗読を重要視するのならば、よりメッセージ性の強い詩が好まれる。思考に働きかけるのならば文字という表記は必要でしょう。そもそもあなたがここで表記している現代詩人村という組織形態がもう錆びついているのではないだろうか。政治屋ばかり表立つ何々政党政治と一緒である。
現代詩の先行きを考えると、その暗澹たる思いに変わりはないのですが、これには大手マスメディアの功罪も多少はありますね。 現代社会の孤独という内省にみられるテーマを問いをかけてみようという試みがない。ラジオ局での小さな番組。少しの時間でもいい。まだ世間一般に知られていない詩人の、好い詩、好い作品を朗読し取り上げてほしいと思う。それには司会者や批評家の優れたパーソナリティーという選考力も需要にもなってくる。




---2025/02/05 18:44追記---

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