くぼみをうめるあやかな幻想/菊西 夕座
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- りつ 
- アラガイs 
---2024/12/15 22:00追記---

アフガニスタン中央部にあるハザラジャードのバーミヤン谷を紀元630年に訪れた玄奘三蔵はちょうどその頃建立されている巨大な石仏を見てこの地域で仏教が厚く信仰されているのを『大唐西域記』に書き残しているが、20世紀末になってこの地域を制圧したイスラム教(スンニ派)のタリバンによって破壊された石仏にはお父さん仏お母さん仏があり、これはどうやらモンゴル系の血筋を受けた(ハザラ)と呼ばれる人々がかの偉大なチンギスハーンの末裔でもあるキクニシハーンを称えてそう名付けていたことが21世紀半ばの発掘によって明らかにされたのであったのかな。


 
作者より:
りつさん、お読みくださり、ありがとうございます。


アラガイ三蔵法師さん、ひとよんで、アラガイsさん、
なんと、キクニシハーンの源流はかの偉大なるチンカスハーンでありましたか? どうもチンカス、チンカスと呼ばれて、まったく相手にされなかった幾百世紀の苦難にみちた歴史ではありましたが、その謎がここに紐解けたように思われます。アラガイ三蔵法師さまが、屹立した亀頭の石仏にこびりついている、涙のようなチンカスを憐れにおもい、『大唐西域記』にくるんで手厚く葬ってくださったこと、ここに祖先たちに代わって感謝申し上げます。これからはハザラの一員として、ハザラの名に恥じないように、いやむしろ、恥っさらしのハザラしとして、ハザラシ夕座として、バーミヤン谷(婆の御闇の窪地)をしっかりふさいでいきたいと思います。ところでやはり婆の御闇の窪地といえば、地図上ではアソコを指すのでしょうか? うう、チンカスがそこまで遠征できる精力がまだ残っているかどうか、下々に聞いてみます。ありがとうございます。

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