食べる/レタス
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

バッハが大好き。たぶんチェロ奏曲でしょうか、高尚だな。がそれにしてもG線上のアリア。あの曲以上に永遠を感じる曲もないのかな。と同意します。
- 田中宏輔 
- 涙(ルイ) 
釣り、やったことないけどいいですね

私も朝は食べませんが
岩ノリとかワサビのなめたけとか
美味しそうですね

いいこと、ありますように(#^^#)
-  
- 鏡文志 
- atsuchan69 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 菊西 夕座
アイス珈琲を食べた
ではなく
アイス珈琲で食べた
というところに常人ではなかなかたどりつけない独特の境遇と贅沢感が感じられました。

通常であればアイス珈琲が至福の一杯なのでしょうけれど、ここではアイス珈琲がクスリとサプリを飲むための脇役に回されている。まるでアイス珈琲は馬かラクダかなにかであり、それにまたがって仙境の桃源郷へゆるゆると歩みをすすめることで、俗界ではなかなか手に入らない幻のデザートを食されている。アイス珈琲が目的ではなく手段として扱われている点において、庶民にはまったく縁遠い、王侯貴族の浮世離れした華麗なる食卓を見るような思いがいたします。

もちろんこれはクスリ漬けの不自由な生活において、アイス珈琲をあえて脇役にまわしてでもクスリをデザートに格上げして「食べる」ことで、不憫さを楽しもうという作者ならではの前向きな態度が呼び起こす贅沢さなのでしょうけれど、それが力みなく自然になされていて好感がもてました。

アイスをカタカナとし、珈琲を漢字にすることで、この組み合わせに区別をもたらしている点も好ましいです。というのも、「アイスクリーム」ののった珈琲(コーヒーフロート)を連想させるからであり、単なる冷たいコーヒーより贅沢感とデザート感が増すからだと思います。「珈琲」という見た目は品格が出ますし、どこか優雅にさえも感じられますから、ほろ苦さをユニークさで和らげて慎み深くも優雅にほほえむこの詩の詩情を高めるうえで効果的だと思いました。
 
作者より:
アラガイsさん
拙作を読んで頂き有難うございます。
いえ、今朝はイタリア組曲です。高尚ではありませんよ。
とても俗物なんです。
---2024/08/18 10:25追記---

田中宏輔さん
拙作を読んで頂き有難うございます。
---2024/08/18 11:07追記---

涙(ルイ)さん
拙作を読んで頂き有難うございます。
涙(ルイ)さんにとって、良い1日になりますように♪

---2024/08/18 11:24追記---
菊西夕座さん
拙作を読んで頂き有難うございます。
深いコメント痛み入ります。

---2024/08/18 14:12追記---

atsucchan69さん
拙作を読んで頂き有難うございます。

鏡文志さん
拙作を読んで頂き有難うございます。

海さん
拙作を読んで頂き有難うございます。

由木名緒美さん
拙作を読んで頂き有難うございます。
言行一致、或いは無言実行は大切なことですね。
謙虚でなければ人は器を大きくできない。
日々己に向かって問い質す毎日です。
---2024/08/18 20:14追記---

---2024/08/19 07:22追記---

---2024/08/19 07:23追記---

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